震災10年よりウグイス

 季節に関する我が家の大イベントが一昨日あった。ウグイスの初鳴きである。最初に気付いたのは私だった。少し離れた所から「ケキョ」と一声聞こえただけだったのだが、その声の質から、ウグイスだとすぐに分かった。同じように、「ケキョ」だけが、その後何度か聞こえ、家族が皆それをウグイスと認めた。
 我が家におけるウグイスの初鳴きについては、昨年かなり詳しく書いたので、そちらを見ていただくことにするが(→こちら)、こんなことで大いに盛り上がる一方、同じ時期の出来事で、一家そろってうんざりしているのが東日本大震災に関するおびただしい報道だ。今年は震災から10年目ということで、特にひどかった。
 この半月、いや1ヶ月、いや今年に入ってから、テレビをつければ震災関連の報道やドラマばかりしている。私には、それらが何のための報道なのか全然分からない。私は以前書いたとおり(下記)、震災報道のほとんどは、「悲劇」か「英雄」を求めるものばかりだと思っている。更に言えば、結局みんな「暇」なのだな。
 私はこの10年、被災地での出来事に対して、、かなり批判的な言動を繰り返してきた。とりあえずは、その代表的なものとして、次のような記事に目を通してみて欲しい(1番上は批判ではない。ただの記録)。

 

2011年3月26日 震災時、我が家族の記録
2011年10月31日「悲劇」と「英雄」を求める心(報道について)
2011年11月29日「心のケア?」・・・私には分からん
2013年1月28日 被災地の高校生
2016年1月8日「十字架に付けよ!」
2016年2月3日 防潮堤が守るもの(工事について)
2016年5月28日 ちやほやされて育つ
2017年4月5日 震災の教訓継承(新聞投稿記事)

 

 今日、私はごく当たり前に家を出て、仕事に行った。職場で、教頭から「14:46に1分間の黙祷を捧げたいと思いますので、ご協力下さい」という話があった。私はムッとした。弔意などというものは、各自が各自なりの方法で表せばいいし、そもそも、それを表すも表さないも自由だろう、それを外形的に見える形で表現しろというのは、愛国心の証明として「日の丸を掲揚し、君が代を歌え」と強制するのと同じことだ・・・そう思ったのである。
 私は14:00から、管理職も含めた15人ほどのメンバーによる会議だったので、それを中断して黙祷だ、となった時に、逃れるのは難しい。いくら私でも、ただ1人、着席したままでいるほどの勇気はない。困ったな、と思っていたところ、14:40から10分間休憩ということになった。私は場所を変えて、文書に目を通していた。教頭が校内放送で、職員に黙祷を呼びかけていた。
 私も、1人の友人と2人の教え子を東日本大震災で亡くした。それは苦しい出来事だった。このブログの記事にも、そのことに触れた記事が何本かある。ただ、彼らの死は個人的なものである。個人的な死が積み重なって総量が大きくなったからといって、彼らの死が社会的な死になったりはしない。社会的な犯罪=戦争による犠牲者とは、その意味がまったく違うのである。世の中がこぞって「追悼、追悼」と大騒ぎをするのは、何か考え違いをしているとしか思えない。私は自分のやり方で彼らを偲ぶ。
 学校が休みで自宅にいた子どもたちによれば、我が家の周りは驚くほどの人出だったそうである。明日からようやく静かな日常が戻る。あぁ、やっぱり、ウグイスが鳴いたということの方がはるかに大問題なのだ。