今日は3月11日。東日本大震災から7年目である。我が家からの景色は更に変わった。南浜復興祈念公園の工事が急ピッチで進んでいる。すこし東に歩くと、北上川では堤防工事だ。マリーナとなる予定の場所付近では、何のためなのか、日曜日以外は連日くい打ちが続いている。先日、息子がインフルエンザにかかって寝ていた時、工事の音がうるさいと言ってべそをかいていたくらいだから、本当にうるさい。
オリンピックが終わって以来、これでもかこれでもかと続く震災関連の報道を見ながら、これいったい何のための報道なのかな?と眉間にしわを寄せていた。何もかもが間違いであると感じる。歴史的大災害が私に見せつけるものは、自然の圧倒的な力と人間のどうしようもない愚かさだ。
私の震災に関する冷たい発言の数々は、このブログの一番上にある「記事一覧」→「震災」と進んでもらうとずらりと並んでいるので、それを見てもらえばよいのだが、以下に8つを厳選して紹介しておく。
2011年3月26日 震災時、我が家族の記録
2011年10月31日「悲劇」と「英雄」を求める心(報道について)
2011年11月29日「心のケア?」・・・私には分からん
2013年1月28日 被災地の高校生
2016年1月8日「十字架に付けよ!」
2016年2月3日 防潮堤が守るもの(工事について)
2016年5月28日 ちやほやされて育つ
2017年4月5日 震災の教訓継承(新聞投稿記事)
今月2日の河北新報に、田畑ヨシ(93歳)という人の訃報が載った。見出しに大きく「てんでんこ伝承」とある。昭和33年の昭和三陸津波で母親を失い、1979年以降、手作りの紙芝居「つなみ」で津波の恐ろしさや「命てんでんこ」の教えを伝えようと努力してきたという。私は「てんでんこ」と言えば故・山下文男氏しか知らなかったので、少し新鮮な気分で記事を読んだ。彼女の訴えに耳を傾けた人はどれくらいいたのだろうか?
今日は日曜日ということもあって、石巻を訪ねる人は例年よりも多いようだ。我が家の下、南浜町にもたくさんの車が押しかけてきている。久しぶりで牧山に走りに行ったら、途中で太鼓を叩き大きな声でお経を唱えながら歩く数人の僧侶とすれ違った。帰路、12時過ぎに日和山に寄った時には、二色餅の店が出ていたくらいで、焼きそばやフランクフルトの屋台はなく、イベント用のテントも立てられていなかったが、人は多かった。朝から何度か防災無線で、14:46黙祷の呼びかけが行われていた。勝手にやってよ。私は死んだ2人の教え子と1人の友人のために、そんな大騒ぎとは全然関係のないところで、静かに心の中で手を合わせる。それは3月11日だけのことではない。