南浜地区復興祈念公園迷走曲(1)



 20日の日曜日、私は朝から夜中まで「被災地の人」をしていた。具体的に言えば、10時〜12時南浜地区復興祈念公園(以下「公園」と略)予定地の現地調査、14時〜17時、「石巻地方で作る震災学習の協働事業体制」第1回コンファレンス出席、19時〜23時、公園計画検討協議会(以下「協議会」と略)の勉強会、という具合である。

 実は、10月から私は、石巻市が設置した協議会のメンバーということになっている。以前にも何度か書いたことだが、我が家から南に一望する南浜町約40ヘクタールの土地には、震災前約4700人が暮らしていた。概ね海抜1m以下の低地で、震災時は6mの津波に襲われ、約500人の人が亡くなった(うち約150名は行方不明)。そこを国は、公園にするという計画を発表したのである。

 その公園のあり方について考えるため、市は協議会を設置することにし、そのメンバーを公募した。私はそのことを知りつつ、公務員は交ぜてもらえないだろうという思いと、既成事実として計画の基本構想が発表されている現在、何を言っても無駄だろうという思いとから、応募することなど考えもしなかった。ところが8月末、締め切り間際になって、某人が「平居先生みたいな人が入って正論を言ってくれないとまずいんですよ」と強く勧めるものだから、私の意見が正論かどうかは知らないが、陰で愚痴をこぼしているだけというのも卑怯で無力だな、市から落とされるならともかく、公務員だからといってこちらから身を引くのはよくないな、と思い直し、ダメ元で委員に応募することにしたのである。立場はもちろん、宮水の教員ではなく、「一市民」である。申し込みには、申請書と作文が必要だった。指定された作文(400字以内)のタイトルは「復興祈念公園で、どのような活動を展開したいか」である。私が提出した作文は次の通りである。


「復興祈念公園が、何かの「活動」を展開する場所である必要はない。該当地区が非可住地域となることが決まっている以上、できるだけ南浜町本来の自然を残し、その豊かさを他の生き物とともに享受できるようにすることこそが大切であると考える。あえて言えば、そのような豊かな自然の享受こそが、復興祈念公園で私が展開したい「活動」、ということになるだろうか。

現在の社会においては、「する」ことの価値ばかりが強調され、「しない」ことは軽視されがちである。「する」ことが積極的・前向きなイメージを持つのに対して、「しない」ことは、弱気で怠慢なイメージを持つからだろう。しかし、財政危機や少子高齢化という現状を念頭に置くなら、「する」ことを増やすことには無理がある。増やすことが美徳という価値観から一歩抜け出した所にこそ、本当の豊かさや幸せがあるということに気付く場として、復興祈念公園を考えたい。」


 このほか、応募用紙に「応募の動機」を書く欄があって、そこには次のように書いた。


「我が家からは門脇町・南浜町がたいへんよく見える。そこで、この場所の扱いについては、震災直後から強い関心を持って見守ってきた。一方、公園整備やその維持にかかる費用など、いまだ市民の目に見えない部分も大きい。新国立競技場と同様、施設を負の遺産にしないための配慮は極めて重要であると同時に、被災地で行われている多くの土木工事と同様、力尽くで自然をねじ伏せて作るのではなく、歴史や自然を尊重した整備計画を立案する必要がある。そのような観点での議論が不足しているのではないかという危惧を感じるため、今回、検討協議会への参加を希望することにした。」


 公園否定派の最右翼であることを出来る限り隠しながら、本心に反したことは書かないというぎりぎりの線だと自分が判断したのが、これらのような内容である。意外にも、10月初頭に、「協議会の構成員とすることに決定しました」という通知が届いた。最近、内々に聞いた話によれば、申し込んだ人は全員採用されたらしい。全部で24名。ボランティア団体や町内会の代表者、和尚さん、私のようなまったくの個人、それになぜか事務局推薦などという人も交じっているが、基本的にバラバラ。石巻市民でない人さえいる雑多な集団である。それにアドバイザーとして環境デザイナーと大学の先生の2名が入る。(続く)