賢い子育て



 先日来、二度ばかりアナウンスした(→その1回目)朝市センター保育園は、710万円の募金目標を達成するや、1000万円という第二目標を設定した。「欲が深い」とか「あさましい」と言ってはいけない。最初の目標を710万円に設定したのは、求められている「保有金」をクリアーするためである。「保有金」があったとしても、認可のためには改修工事が必要になって、それには6000万円が見込まれている。このお金は、借入金でまかなっても認可そのものには影響しないため、今までは募金の対象から外れていたわけだ。しかし、6000万円を借金することがどれほど大変かというのは、家の新築か何かで1000万円を超えるお金を借りたことのある人には、たいてい想像が付くだろう。今時の低金利で借金しても、払う割に元本がなかなか減らない哀しさは、私もさんざん感じたことがある。零細な保育園が借入金を出来るだけ増やしたくない事情はよく分かる。

 というわけで、第二目標を設定したからといって期限が延びるわけではないので、勝負はあと1週間だ。ご協力よろしく。

 話は変わる。

 昨日の読売新聞「日曜の朝に」欄に載った森谷直子筆の子育て論「子に物を与えすぎない」という記事は、ささやかな記事ながらも大変よいものだった。短い記事なので全文を引用したいところだが、著作権の関係もあるので、かいつまんで紹介しよう。

 まず、クリスマスプレゼントの季節にちなみ、筆者の知り合いであるAさんのプレゼント方針を紹介する。Aさんお家のクリスマスプレゼントは水筒や靴などの実用品が中心で、おもちゃには「みんなで遊べる」「壊れたら自分で修理できる」などの条件を付ける(「など」の中身も気になるなぁ)。ゲーム機を買ってもらえないと不満を言う息子に、「自分でお金を稼ぎ、お金や時間を自分で管理できるようになったら好きな物を買いなさい」と諭したところ、息子は「18歳で家を出る」と言って、自立に向けた10年計画を立て、自分の服の洗濯を自分でするようになったという。

 ここからAさんの息子が8歳だというのは読み取れるが、ゲーム機を買ってもらえないと文句を言った時に、「自分でお金を稼ぎ云々」と諭したくらいで、8歳の子どもが本当に10年計画なんか立てるかな?たとえそれが稚拙なものだったとしても、その発想自体に私は半信半疑だ。だが、Aさんのプレゼント条件は立派だ。私も子どもに与えていいものと悪いものは慎重に考え、分別しているつもりだが、Aさんほど見事な規範化はなかなかできていない。一事は万事。Aさんの家では、プレゼントに限らず、子育てがこのような哲学と規範化に貫かれているはずだ。本当に「賢い子育て」だと思う。

 さて、記事では、Aさんの話の後に、金沢工業大学教授・三谷宏治氏の指摘を紹介する。子どもの自立を促すのは、「ヒマ、ビンボー、オテツダイ」だというものだ。私は思わず膝を打った。そうなんだよなぁ。私も日頃から、子どもを成長させようと思えば、「物を与えず、子どもだけの時間を与える」ことが大切だと思っている。「ビンボー」は意識的にするものではないし、「オテツダイ」は抜けていたが、三谷さんの指摘と基本的には同じ発想だと思う。

 ところが、それを邪魔する要素が世の中には充ち満ちている。子どもは親の思い通りに成長しない、というのは子育ての先輩諸氏によく言われることだが、そもそもそれ以前に思い通りのやり方で育てることができないのだ。つまり、世の中はそれらと正反対、すなわち、出来るだけ子どもが喜ぶ物を与え、親が生活を管理し、ベタベタと世話を焼くことが「善」であるという発想に隅々まで支配されていて、彼らとの関係を絶つことが出来ない以上、もはや私だけが逆らおうとしても出来ない、という場面があまりにも多すぎるのだ。その結果として、子どもは年齢の割にあまりにも幼い。

 自分の子どもの頃の経験が、果たして「正しい」のかどうかは分からない。しかし、それに照らして考えざるを得ない場面は多い。私の母親は主婦で、たいていは家にいたが、それでも、子ども同士が勝手にそれぞれの家を行き来して遊んでいるのに干渉することはなかったし、友達がハイテク玩具・遊具を持っているということもなかった。少年野球だって、もともと練習時間が長くない上に、大人の付いている時間は限られていた。野山に繰り出すのも自由で、子どもだけによる列車に乗っての遠出やサイクリングも、計画書を出せば許可してくれた。半田ごてやナイフを使っての怪しげな工作も、注意はされたが禁止はされなかった。手伝いを真面目にやった記憶はないが、それらは子どもが大人になっていくために「正しい」やり方だったと思う。

 自分の親が特別に立派だったわけではないと思う。たぶん、それが普通のことだったのだ。今はそうではない。「豊かさ」の故に、みんな暇すぎるのだと思う。だからこそ、Aさんのやり方が光り輝いて見えるのだ。それは確かに素晴らしいけど、それを素晴らしいと思わざるを得ないのは哀しいことだ。「ヒマ、ビンボー、オテツダイ」、そう、それらを大切にして、子どもが喜ぶ子育てではなく、子どもが精神的に自立する子育てをしなければ・・・。