他人のお金

 先週の水曜日、「森友学園」を巡る財務省の決算文書改ざん問題で、国が突然、赤木俊夫さんの妻の訴えを認め、請求通りの賠償金1億7千万円を支払うと言いだした。「認諾」という手続きらしい。その日のうちに、財務大臣が、「公務に起因する心理的、肉体的負担を原因として赤木さんが自死したことについて、国の責任は明白である」と深々と頭を下げた。一見、いかにもしおらしい。
 しかし、ある程度事情というものが分かる人間にとっては、なんとも腹立たしい、いや、嫌らしい決着の付け方である。赤木さんの奥さんが訴訟を起こしたのは、なぜ赤木さんが自ら命を絶たなければならないほど追い詰められたのか、その真相を究明することであった。国は、1億7千万円と引き替えに、真相究明の道を閉ざしたのである。
 ま、ここまでは報道の通りのことである。なるほど腹の黒い人間というのは悪知恵が働くものだな、と、まずは感心した。私のような善人、いや、小心者には絶対に出来ないことである。
 国が今回のような対応を取れたのは、1億7千万円と、自分たちの悪が公になることとのバランスを考えて、1億7千万円を払ってしまった方がいい、と考えてのことであることは言うまでもない。しかし、その前提として、そもそも自民党の政治家にとって、1億7千万円がどのようなお金かということに思いを致す必要がある。それはしょせん税金、つまりは「人の金」なのである。赤木さんの奥さんは、認諾させないために、あえて2億円近い高額の賠償請求額を設定したらしいが、自民党の政治家にとって、人の金である以上は、1億でも2億でも5億でも、痛くも痒くもないのである。なにしろ官房機密費という領収書の要らないお金を年に13億円以上も使い、これまた領収書の要らない文通費を全ての国会議員に毎月100万円、年に85億3200万円(100万円×12ヶ月×711名)も支給しているのである。領収書があれば、正規の(?)予算から支出できる1億7千万円が大きなお金であるわけがない。赤木さんの奥さんという一庶民が、政治家の金銭感覚を想像しきれなかった、ということなのだな。
 彼らにとってそれが「痛い」とすれば、そのお金を支出することで、国民が政権を批判的な目で見、内閣支持率が急降下、次の選挙に向けて信号が「赤の点滅」になった時である。しかし、大丈夫。政府が認諾を表明して3日後に毎日新聞と社会調査研究センターが実施した世論調査によれば、内閣支持率は1ヶ月前に比べて6ポイントも上昇しているからである。政権も政権なら、国民も国民、1億7千万円が自分のお金だという認識なんて皆無。もちろん「正義」に対する感性もゼロに近い。この国民のバカさ加減を、政治家はよく知り、そこにつけ込んで政治的な決定を行う。賠償請求額をせめて30億円くらいにしておいていたら、もしかするとまた別の反応も得られただろうか・・・? いや、ダメだろうな。むしろ、赤木さんが「がめつい女だ」と誹謗されかねない。
 佐川氏個人に対する訴訟は継続されるらしいが、そのうち、佐川氏も「認諾」を言い出すのではないだろうか。損害賠償請求額がいくらかは知らないが、「官房機密費で払って上げるから・・・」と、佐川氏に認諾を勧めることくらい、佐川氏に関する審理から自分たちの悪がバレたら困る、という不安を持つ腹黒い政治家にとっては、朝飯前だろう。