「異次元」の少子化対策

 新年早々、首相がまたもやとんちんかんなことを言っている。今度は「異次元」の少子化対策なのだそうだ。昨日は、自民党前幹事長が、そのための財源として消費税の増税に言及した。何もかも思慮がなく、浮き足立っているようにしか見えない。
 私が本当にうんざりするのは、なぜ少子化が進んでいるのかについての突き詰めた分析、最終的にどの程度の人口、年齢構成が理想なのか、すなわち、どこへ向けて対策を進めるのか、といった点について、ほとんど、もしくは全く説明がないのに、出生率が低下している=人口減が進んでいるということだけで、直ちに「少子化は悪だ」となり、対策、対策!という大騒ぎが行われているからだ。もちろん、少子化は経済成長にとってマイナスで、借金返済にとって脅威であるということが、自明かつ暗黙の了解事項としてあるが、あまり大きな声で言えるようなことではないから(特に後者)言わない、というだけかも知れない。だが、少なくとも、最終的に日本の人口はどれくらいが適正なのか、今後何年かけて、どのような人口構成を目指すのか、みたいなことの説明はあって当然だろうと思う。子どもが少ない→増やさなければ、というだけでは、あまりにも浅はかだ。
 私は、既に少子化についての考え方を何度となく明らかにしているのだが、そんな記事を憶えているほどの読者は少ないだろうから、簡潔に確認しておきたいと思う。私の意見は非常に明瞭だ。(→参考記事=そこにリンクを張ってある記事も参照)
 社会は持続可能でなければならない。本当の持続可能とは、外国と一切貿易をしなくても生きて行ける、ということである。したがって私は、鎖国をしていた江戸時代末期の推定人口、すなわち約3000万人こそが、日本の国土に対する適正人口だと考える。その人口であれば、燃料を薪炭に依存し、食糧を完全自給しながら生きて行ける。それ以上についても、もしかすると、様々な技術改良のおかげで生きて行けるのかも知れないが、確信は持てないし、それが3500万人なのか、4000万人なのかは分からない。現在、毎年50万人あまりの人口減少が起きているが、このペースで減り続けても、人口3000万人を実現させるには150年以上かかる。よって、少子化にはブレーキをかけない方がいい。
 古来、人間は、どんなに厳しい環境下でも子どもを産み、育ててきた。それは生き物としての自然な姿である。現在、少子化が進んでいるのは、子育てのお金がないからではあり得ない。実際、私の周りを見るに、経済力と子どもの有無は関係ない。「貧乏人の子だくさん」という言葉もある。立派な車を持ち、立派な家に住み、スマホを持ち、美味しいものを腹一杯食べながら(もちろん、そうでない、本当に生活が厳しい人もいるのは承知。ただし、絶対に多数派ではないはず)、子育てにかけるお金がない、というのは荒唐無稽な話だ。人々が子どもを産まないのは、人間が自然から離れ、生き物としての本能を失ってしまったからである。
 出産・子育てを奨励するために、政府が湯水のように補助金を出したとして、例えば、1人生めば1000万円の補助金(報奨金と言った方がいいかも=笑)を出したとして、子どもを産む夫婦が増えたとしても、今度は、お金が欲しいから子どもを生む、子育てにたくさんのお金を投じるとなれば、間違いなく子育ての質が低下し、健全な人間の成長が期待できない。そんな子どもがやがて主権者となり、社会を動かすようになれば、社会はますますゆがんでくる。何かにつけてすぐお金の話になるのは、それしか考えつかない、そして、お金さえ出せば、何か立派なことをやっているような気になる貧しい精神の表れでしかない。
 問題は、人口が減っているということよりも、アンバランスな年齢人口構成である(このことは時々言われる)。これは確かに困った問題だ。少子化が長く続けば、ある程度は解消するかも知れない。だが、肉体的な命を延ばす術ばかりが発達したことによって、必然的に起こってくる現象でもある。まず、当分の間続くアンバランスな状態は、多々問題は起きるとしても、過渡的なものとして耐えるしかない。また、定年→隠居などという呑気なことを言わず、生きている限り働くということや、不本意な生(老)について安楽死を認めることも避けられない問題だ(→参考記事)。
 2030年までにCO₂を2021年比46%減、2050年までに実質ゼロなどという環境(主に温暖化)問題克服のための目標の厳しさに比べれば、それらが無理のある対策・目標だなどとは決して言ってはいられない。私と違ってもけっこう(当然)。ただ、政府にはこういう議論と説明とをしっかりして欲しいのである。
 子育て支援のための補助金増額で、少子化から脱却??・・・私の考えからすれば、それはバカさ加減において「異次元」レベルの話である。