火葬は異常だ

 今日の河北新報「持論時論」欄に、私の作文が載った。実は、わずか1ヶ月半ほど前、4月12日に少子化の作文が載ったばかりである。私は、このような作文なら3日に1本でも書けるのだが、新聞社にうっとうしがられると逆効果だと思って、年に1度以上は作文を送らないことにしている。ところが、以下の記事にあるとおり、イスラム教徒による土葬を認めるようにという陳情がニュースになり(→そのことについてのブログ記事)、私は以前から「火葬は馬鹿げている」と言い続けている人間なので(→その例)、この機を逃せば火葬問題を一般紙に投稿するチャンスはなかなかないかも知れないと思い、ダメ元で送ってみたら、「載せます」という話になったのである。
 例によって、記者によるおびただしい手直しが入った。私もそれに20カ所くらいは反論し、かなり受け入れてもらった。良心的対応だとは思ったが、それでも、これは私の言葉ではないな、言いたいことそのものが削られているな、と違和感を覚えるところが何カ所かは残った。その点は割り引いて読んで欲しい。
 見出しは、「脱炭素時代の埋葬 多様な選択検討始めて」となっていた。見出しを付けるのは新聞社であって、これについては執筆者に発言権はない。だが、本文の修正についてやりとりをしている時に私は、「埋葬」は本来土葬を意味するので、「新しい埋葬方法を考える」というような日本語はNGである、と主張したのである。見出しを付ける時には、そんなやりとりが忘れられてしまったらしい。さて、本文・・・

 

宮城県内のイスラム教徒らでつくる「宮城イスラム国際共同霊園をつくる会」が4月、水産業などの外国人実習生らイスラム教徒が多く暮らしている石巻市に対し、土葬が可能な霊園整備を求める陳情をした。
 イスラム教徒は宗教上の理由で遺体を土葬するが、東北には受け入れ可能な墓地がないため、埼玉県などの土葬可能な墓地へ遺体を運んで埋葬せざるを得ない状況があるからだ。
 市は条例による制限や財政事情を理由に、陳情に対して難色を示したという。
    ◇      ◆      ◇
 私は以前から、遺体を火葬することはエネルギー資源の消費と環境汚染の面で、問題が非常に大きいと思っている。
 石油を使って火葬する場合、一遺体当たり約50リットルが消費されるという。
 人間社会が続く限り死者は出続けるが、化石燃料は有限である。だとすれば、石油を使おうが天然ガスを使おうが、火葬はやがて限界に達する。
 しかも、日本はほとんどの燃料を輸入に頼っている。またそれを消費することで排出される温室効果ガスの削減も待ったなしの状況だ。どう考えても、火葬は不合理なのである。
 また私たちは、他の生き物の命をもらいながら生きている。自然は命が命を支える「命の循環」の中で成り立っているのだ。火葬はそのような自然の理法にも逆らう。
 生きている間は、他の命を支えるために死にたいとは思わないが、死んだ後ぐらい、他の命のためになりたい。私ならそう思う。
 日本は国土が狭く人口が多いので、土葬するにしても土地の確保に困るということはあるだろう。海外では既に埋葬のための土地不足が問題化しているという話も聞こえてくる。では、どそうしたらいいのだろう?
 一つは海に沈める「水葬」である。また米国では、数年前から「堆肥葬」が取り入れられているという。遺体を生分解して堆肥化し、農地や森林に入れて、「命の循環」を取り戻すという方法だ。それでも現在の技術では、化石燃料の消費をゼロにすることはできないが、それでも、現行の8分の1程度にまで減らすことが可能だという。ほかにもいろいろな方法が模索されてもいるようだ。
    ◇      ◆      ◇
 いずれにしても、火葬を続けることは無理がある。イスラム教徒だけではなく、広く現代社会の問題として、新しい遺体処理方法を考えるべきである。
 将来にわたりエネルギー資源が高騰を続けることは明らかであることから、火葬を改める方が財政的な負担も軽減できるかもしれない。
 とはいえ、火葬を一斉に新しい方法に切り替えることは難しいだろう。それなら、まずはイスラム教徒のように宗教上の事情がある人や、私のように自然の理法に従った遺体処理を望んでいる人に土葬を認める、こんな選択から始めてはどうだろうか。」

 

 実は、この作文は4月12日掲載の少子化に関する作文と深い関係がある(リンクを張った一つ目の記事参照)。
 日本の火葬率は99.97%(2021年)である。石油や天然ガスをほとんど全て輸入に頼っていることを考えると、実に図々しい。しかも、火葬は決して伝統でも固有の文化でもない。明治時代には火葬禁止令すら出ているし、火葬率が90%を超えたのは1979年以降に過ぎない。
 1979年と言えば、前回(4月12日→こちら)書いたとおり、日本の人口が1億人を超え、今に比べるとまともな政府が、人口抑制を考えていた時期である。
 あくまでも私の想像だが、人口が増えすぎて土葬ができなくなったのだ。火葬して、小さなお墓に骨を入れるしかなくなったのである。結局、何をするにしても、日本は面積の割に人口が多すぎる、ということなのだ。こうして、人口問題と遺体処理方法の問題は結びつく。
 私にしてみれば、化石燃料を使った火葬が不合理だというのは、あまりにも自明のことである。考え方の問題ではなく、算数の問題だ。にもかかわらず、その不合理に気が付けない、もしくは目を向けないというのは、完全にノータリンの世界だ。いくら都合の悪い現実は見ないと言っても、限度というものがあるだろう。
 まずは火葬の不合理を直視する、そしてその先に人口問題が見えてくる、そうして少しずつ合理的な考え方をできるようにしていく必要がある。「お前ばっかり分かっているような顔をするんじゃねぇよ」と言いたい人は言えばいい。火葬は異常だ。