少子化の作文

 今日の河北新報「持論時論」欄に、私の作文が載った。このブログの読者にしてみれば、何の新鮮味もない、いつも通りの内容である。ただ、とにかく少子化問題については、右から左まで解決させるべき大問題だという点で一致していて、私はそれを実に由々しきことだと思っているので、一地方紙とは言え、持論をブログを超えるレベルで公にしておかなければ、という思いをずっと持っていた。記憶が定かでないのだが、もしかすると、かつて一度同様の原稿を河北に送り、ボツになったことがあるかも知れない。それはともかく、新聞社が付けたタイトルは「人口減対応の社会築け」(目立つだけに、一見してカチンと来る人が出ないように、よく配慮されている)で、文面は以下のとおりである。

「2月末に発表された厚生労働省の人口動態統計(速報値)によれば、昨年1年間に生まれた子どもの数は7年連続で過去最少を更新し、初めて80万人を下回った。出生数・人口減少のニュースは年中行事と化している感があるものの、速報値での80万人割れは国の推計より11年も早い。
 思想的立場がかなり異なる人々も含め、少子化に関しては、それが困った問題だという点で一致しているように見える。だが、果たして少子化は本当に「困った問題」なのだろうか。
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 物事というのは、極端な設定をしてみると、その意味がよく分かる。例えば、少子化が解決して人口増に転じ、日本の人口が2億人になったらどうなるだろう。恐らく、食料確保や生活環境の維持などで深刻な問題が多数発生するに違いない。実際、人口が1億人を超えた1970年代半ばに、政府の人口問題審議会は、それらの問題との関係で、人口の増加を抑制し、人口静止状態を目指すことが必要だと提言している。
 資源や環境に対する問題意識から、近年は「持続可能」であることの必要性がよく言われる。人間の社会を長く存続させていこうと思えば、当然のことであろう。そして究極の「持続可能な生活」とは、輸出入と地中からの資源採掘をゼロにしても成り立つ自給自足の生活以外にはあり得ない。
 それが可能なのは、実際にそのような生活をしていた江戸時代末期の人口、すなわち約3000万人と考えるのが合理的である。ただし、それは当時と同様の水準で生活をするなら、であって、より多くの樹木を燃やして当時以上のエネルギーを確保しようとすれば、3000万人さえ多すぎるはずだ。
 今回の人口動態統計での死亡数から出生数を差し引いた自然減約78万人を基に毎年80万人ずつ人口が減ると仮定すると、現在の人口約1億2460万人が1億人を割り込むには30年以上、3000万人になるには120年もの時間が必要だ。今の減少ペースは、むしろ遅すぎるくらいであり、決して速すぎるということはない。
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 何事も変化は痛みを伴う。特に、「減少」は人間の本能と資本主義のシステムに逆らうため、なおのこと、その痛みが大きい。だが、人口を減らすことは、国土が狭く資源もない日本で私たちが生き延びるためにはどうしても必要なことである。
 政府が取り組むべきは、出生数を増やすことではなく、少子化に対応できる社会を設計する、ということではないだろうか。
 少なくとも、現在の社会システムを絶対不動の前提として、少子化をストップさせようというのではなく、「本当に少子化は問題なのか?」と立ち止まって考え、メリットとデメリットを冷静に比較しながら、日本において適正な人口とはどれくらいか、それをどのように実現させていくのか、ということを、その根拠とともに探し求めることが必要であろう。
 マスコミにも、そんな根源的な問題提起をこそしてほしい。」

 職場では、一度も「見たよ」と声を掛けられたりはしなかった。前任校なら2~3人いたかも知れない。これが今の高校教員新聞事情である。
 4時過ぎに職員室に戻ると、教頭から「石巻かほくで読んだ先生の文章に感激したって言う人から電話ありましたよ。また掛けてくるそうです」と言われた。「石巻かほく」と言った所が、教頭も拙文の「持論時論」への掲載に気付いていないことを物語っていて面白い。私は、「石巻かほくに何か書いたっけかな」ととぼけた。
 それから30分後に電話があった。87歳のS(さん)と名乗る男性だった。「自分も日本は少子化に向かわなければならないと思っている、戦前、『産めよ増やせよ』で人口が増えすぎた結果、日本は満州に100万人以上の移民を送る必要が生じて戦争になった、少子化対策一辺倒の世の中で、戦後生まれの先生(←私のこと)がこのような見識を持つというのはすごいことだ、何か特別な教養の持ち主に違いない、先生の指導を受けている子どもたちは幸せだ」みたいなことを、受話器に耳をまともに当てていられないくらい大きな声で勢いよく語り続ける。特別も何もない、平凡な高校教諭としてたいへんありがたく拝聴していたのだが、話はやがてミサイル配備や防衛力強化問題などへと流れていき、収拾が付かなくなってきたし、1年生担任の新学期で私も狂ったように忙しいので、15分あまり経ったところで、申し訳なく思いつつ、多少強引に切らせてもらった。
 熱烈に好意的な電話だったからよかったものの、逆に苦情だったらものすごいストレスだっただろうな、と思った。ただ、私以外に1人でも少子化推進派の人がいることを知ったことは収穫だった。なんだか、珍しい経験をしたような気がする。