ウィンナワルツの幸せ

 一昨日は入学式だった。再任用教諭1年目の私は、心機一転、なんと自らの希望によって1年生の正担任である。学科については教頭に一任したところ、機械科となった。過去を振り返ってみれば、1年生の担任というのは、東日本大震災の年に水産高校で担当して以来だから、実に12年ぶりということになる。塩釜高校時代は学年主任こそしていたものの、昨春、塩釜高校から異動してきて配属されたのは3学年だったし、1年生を迎え入れるに当たって担任として何をすればいいかは本当に忘れてしまっている。4月に入ってから右往左往の末、入学式でも生徒の名前を読み間違えるし、教室でのお話も全然「会心の出来」とはいかなかったし、なかなか難儀な1年間が予想される幕開けとなった。あぁ、疲れた。

 さて、入学式後のHRが終わると、私はそそくさと学校を出て、16:57の仙石東北ラインで仙台に向かった。この日は日立システムズホール(青年文化センター。以下、青文)で、トヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーンの演奏会があったのである。
 過去にこの団体の演奏を聴きに行った話は、このブログにもそのたびに登場する。トヨタが企業の社会貢献活動(メセナ)として実施している、ウィーン・フィルのメンバーを中心とする25~30人規模の室内管弦楽団である。ウィーン・フィルコンサートマスター、フォルクハルト・シュトイデを芸術監督とする本物の名人集団で、いつもその響きの美しさと絶妙なアンサンブル、とても30人とは思えない豊かで堂々とした響きに圧倒される。おそらく、ウィーン・フィルがフルメンバーで演奏する時よりも感動的だ。名人の実力が最も発揮されやすい規模のアンサンブルなのだろうと思う。年に1度しか演奏会に行ってはダメだ、と言われたら、私は間違いなくこの演奏会を選ぶ。しかも、料金が信じられないほど安い。
 ところが、今までは1800人収容の東京エレクトロンホール(県民会館。以下、県民)が会場だったのに、今年は800人の青文になった。県民は音響が悪く、ゴロゴロという空調の音がひどいから、というのではなく、日程(会場確保)の関係だったのではないかと思うが、それによってチケット料金が跳ね上がり、しかも買いにくくなったのは残念だった。
 昨年までは、一番安い3000円(!!)の席でもけっこういい所だったのに、今年は発売開始から15分くらいもたもたしているうちに一番安い席が売り切れ、私が許容できるほぼ限界(=玄米30㎏の値段=笑)の6500円も払って、前から6列目の一番端っこという席が確保できただけだった(ところが、行ってみると空席はけっこう多かった。トヨタが相当数の招待券を出していて、それをもらった人の中に欠席者が多かったと想像する。よくない)。ホールの一番奥の席を好む私としては異例である。音の悪さを我慢して、次回は県民に戻してほしいものだ。
 今年はこのアンサンブルが登場する「ウィーン・プレミアム・コンサート」の20周年(2000年開始なので23年目だが、コロナで3回中止したので、今年を以て20周年とするらしい)ということで、ロビーに過去の全ポスターが展示されていた。それを見ると、なんと私は皆勤賞である。仙台では12回行われた、その全てを聴きに行っている。加えて言えば、このコンサートシリーズが始まる前に、1回だけ、ベルリン・フィルのメンバーを中心とするトヨタ・マスタープレイヤーズ・ベルリンというアンサンブルの演奏会が行われたことがあって、私はそれにも行っているので、皆勤賞以上と言ってもよい。演奏会プログラムの最終頁にシールが貼ってあった人には特製CDプレゼント、という記念企画をやっていた。CDは大量に積み上げてあったので、当選確率は決して低くなかったのだろうが、私は外れた。偶然当たるとか当たらないとかではなく、私のような皆勤賞にこそくれないかなぁ、と思ったが、その場で皆勤賞を証明するのは確かに難しい。くそっ。
 今年は、20周年だからというのではなく、仙台公演のプログラムがウィンナワルツであった。全ての演奏曲目をここに書くことはできないが、「こうもり」序曲から始まって、「美しき青きドナウ」まで、ニューイヤーコンサートのメンバーによる、その通りのプログラムであった。エドヴィグ・リッターというソプラノ歌手が登場して、「春の声」や「こうもり」「ウィーン気質」のアリアを歌う。アンコールが「ラデツキー行進曲」だったら、あまりにもお決まり過ぎて嫌だなと思っていたら、再びリッター登場でズィーツィンスキーの歌曲「ウィーン、我が夢の町」が演奏された。心憎い。
 以前のコンサートでも、アンコールにウィンナワルツやポルカを演奏することは多かった。このメンバーによって(とは言っても、臨時編成のオーケストラなので、毎回多少変化する)、私は既に「皇帝円舞曲」「ウィーン気質」「トリッチ・トラッチポルカ」「観光列車」「テープは切られた」といった曲を聴いている。毎回衝撃を受ける。2014年に「皇帝円舞曲」を聴いた時、私はその演奏を「J・シュトラウス2世の曲であり、ウィーンの文化であることを超えて、彼ら自身であった」と書いた。手前味噌ではあるが、彼らとウィンナワルツの関係を言い表す最高の表現だろう、と思う。
 今回の演奏会が質の低いものであるわけがない。しかも、ステージに近い所で見ていてこそ分かったのだが、彼らは一切手抜きなく本気である。リッターという28歳のソプラノ歌手(フォルクスオーパー専属)も、歌といい演出といい秀逸だった。
 しかし、やはり席はよくなかった。シュトイデの対角線に座っていたこともあって、彼の生音ばかりがとてもよく聞こえる。彼ららしいふわりとまとまったアンサンブルに聞こえないのである。トランペットを除く管楽器やティンパニ奏者は見えない。延々2時間、ウィンナワルツを聞き続けるのも善し悪しだ。ベートーベンやモーツァルト交響曲の後に、ウィンナワルツ(ポルカ)が演奏される時の鮮やかな対比、新鮮さの衝撃というものがない。一方、わずか数mのところに、テレビ(DVD)で見、私が以前から知っている名人たちがいることへの感動は大きかった。特にカーテンコールの時、ステージの一番前に独唱者を含む31人がずらりと並んだ姿は圧巻だ。数mの所で見た時ならではの存在感に、正に圧倒された。プロ野球ファンが、WBCメンバーを間近に見る時の感動と同じ、と言えば想像しやすいだろう。
 来年また来てくれるかなぁ。