小澤征爾への思い

 小澤征爾が死んだ。88歳。予想されていたことであったため、記事が用意されていたということもあるのだろう。どの新聞も扱いは破格。特に毎日新聞は、第一面のトップ記事だった。
 昨年末に放映されたクラシック音楽界のまとめ番組で、ジョン・ウィリアムスがセイジ・オザワ松本フェスティバルで自作「スターウォーズ」を指揮した際、車椅子に乗ってステージに登場したのを見た。訃報を告げる新聞によれば、それが公衆の面前に姿を表した最後だったらしい。前年でも同様だったと思うが、無残な姿だった。自分ではほとんど動くことが出来ず、しかもマスクをしていて顔も見えない。何もこんな状態で、わざわざステージに引っ張り出すこともあるまいに、と同情のような憐憫のような嫌悪のような感情を抱いた。
 ボストン交響楽団音楽監督を29年間も務め、ウィーン国立歌劇場の頂点にも君臨した。地位を見れば、確かにスーパースターだ。日本人が、野球ならニューヨークヤンキース、サッカーならレアル・マドリードの監督になるようなものである。
 ところが、概算で2000枚ほどかと思う我が家のCDコレクションに、小澤の録音はたったの7枚しかない(5種類と言った方がいいかも・・・)。ブラームス交響曲全集(3枚組、サイトウ・キネン・オーケストラ)、プロコフィエフ交響曲1番と5番(ベルリンフィル)、ニューイヤーコンサートウィーンフィル)、シベリウスチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ムローヴァ+ボストン響)、そしてR・シュトラウスドン・キホーテ」他(桐朋学園齊藤秀雄メモリアルオーケストラ)だ。小澤が振っているからという積極的な理由で買ったのは、せいぜいブラームスニューイヤーコンサートくらいだろう。プロコフィエフは安かったから、ヴァイオリン協奏曲はムローヴァ目当て、桐朋学園はセットになっている秋山和慶指揮の盤が目当てだった。この中で、文句なしに素晴らしいと言えるのは桐朋学園(→これについての記事)で、ニューイヤーコンサートは、エンタメとしては面白いが、ウィンナワルツとしては「?」、ブラームスは買ったことを激しく後悔して、1度か2度しか聴いていない。
 ライブは1回だけ。1982年5月29日の新日フィル創立10周年演奏会で、マーラーの「復活」を聴いた。この曲は、当時の私にとって(←あくまでも当時の私)マーラーの最高傑作で、東京在住の友達が、東京文化会館の2階最前列というすばらしい席のチケットを確保してくれたから行ったのだが、なんだか盛り上がりに欠けた。
 と言うわけで、私にとってはまったく偉大な指揮者ではない。
 私はできるだけ虚心に音楽と向き合いたいと思っている人間である。しかし、こと小澤に関して言えば、音楽以外の部分で作られた偏見を通して見てしまい、最初から拒否しているようなところがある。
 一つは、彼が話をする時、時々舌を出して唇をペロリとなめる、その姿が下品で好きではなかったということ。そしてもう一つは、新日本フィル創設を巡る問題だ。私はかつてそのことについて一文を書き、その中で「私が『世界のオザワ』を素晴らしいと思えないのは、こんないきさつ(注:労組を否定し、日フィルを分裂させたこと)を知ることによって氏に変なラベルを貼ってしまっているからか、こういう背景を持つ音楽家の卑俗な人間の臭いを、私の嗅覚が極めて敏感にかぎ取っているからであろう」と書いた(→全文はこちら)。
 何も小澤の音楽に感動できなければ間違い、というわけではないし、好きでもない音楽家の演奏を無理に聴く必要もない。だが、小澤を見ると、虚心に音楽に向き合えない自分の未熟さを突きつけられているような気持ちになる。それがなんとも自分に対して不愉快だ。
 小澤が死んだことにより、私の心の中で「棺を蓋ひて名定まる」が実現するのかどうか?だが、自分が虚心になれているかどうかを判断するのも難しい。無理はするまい。彼の音楽が本当に素晴らしいかどうかは、私が悩まなくても、やがて歴史が判断してくれるだろうから・・・。合掌。