偉大なる「原点」・・・齊藤秀雄メモリアルオーケストラ



 先月末、秋山和慶指揮する仙台フィルの演奏会に行った話を書いた。その際、我が家にある唯一の秋山指揮のCDとして、「齊藤秀雄メモリアルコンサート」を挙げた。1984年、齊藤秀雄の没後10年を記念して、齊藤門下生が世界中から集まって開いた演奏会(東京文化会館)のライブである。2枚組で、1枚目が秋山指揮、2枚目は小澤征爾の指揮。秋山が振ったのは、モーツァルトのディベルティメントK136とシューマンの「ライン」、小澤が振ったのはR・シュトラウスの「ドン・キホーテ」(独奏:堤剛今井信子)とバッハの「シャコンヌ」(齊藤秀雄編曲)、そしてアンコールと思しきパガニーニの「常動曲」である。

 せっかく思い出した機会にと思って聴いてみた。「打ちのめされた」という表現が大げさではないほど、強い感銘を受けた。そして、それは秋山指揮の1枚目だけではなく、小澤指揮の2枚目もである。小澤征爾という人にあまりいい印象を持っておらず(→参考記事)、その音楽にもさほど感心した記憶の無い私にとって、間違いなく今までに聴いた小澤による最良の演奏である。このCDの存在を忘れかけていたのが不思議なほどだった。2枚とも、本当に純粋でみずみずしい。親しい一体感とも言うべき、オーケストラのまとまりも素晴らしい。「ライン」はバーンスタインの演奏と甲乙付けがたく、「ドン・キホーテ」は1975年録音のカラヤン盤(独奏:ロストロポーヴィチ&コッホ)を上回って、私が知る限り最上の演奏だとさえ思った。

 言うまでもなく、1回だけというつもりで開かれたらしいこの時の演奏会は、やがて「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」へと発展して、継続されるようになり、今年からは「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と名前を変えて、日本の夏の大イベントとなっている。もちろん、私は松本まで聴きに行ったことはないし、テレビやラジオでも断片的にしか情報や演奏には接していないので、詳細は分からない。ただ、15年あまり前に買ったサイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾ブラームス交響曲全集のCDがあまりにも退屈だったのと、大規模化とともに今や齊藤秀雄を直接知らない人も多く出演し、マンネリに陥らないようにという苦労がよく見えるので、どうしても松本まで聴きに行きたいというほどの興味は持てずにいた。

 そして今回、やはり、「原点」には価値があるのだ、と思った。1回きりという意識も大切だが、恩師の死後10年という時間も、決して長いとは言えない。だからこそ、彼らの心の中に、ある種の緊張と熱意とがあって、CDで聴くような演奏が実現したのだろう。

 メモリアルからサイトウ・キネンへ、そしてセイジ・オザワへと名前が変わり、イベントの性質も大きく変化した(と見える)。その実質がどうであれ、1984年にこのCDの演奏をしたメンバーは、世界各地で演奏活動を行い、後進を育てているはずだ。孫弟子が齊藤秀雄の存在を意識していてもいなくても、その教えは間違いなく生きている。もちろん、平凡な学校教育でも、家庭でも、いやあらゆる社会的影響についても同じことが言えるのだけれど、齊藤秀雄一門はそのことを極めてはっきりと分からせてくれて感動的だ。


(余談)「シャコンヌ」は、言うまでもなくバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調の第5楽章である。ヴァイオリン1丁で演奏される曲が、フルオーケストラ用に編曲されると、どうしても非常に仰々しいものとなる。齊藤秀雄の編曲が悪いのではなく、そうならざるを得ないのだ。では、それによって表現される内容が増えたかというと、決してそうとは言えない。原曲は、やはりヴァイオリン1丁だけで、十二分に伝えるべきことを伝えきっている。100人がフォルテで演奏するのと同じか、それ以上のものを1丁のヴァイオリンは伝えてくれる。この曲に関しては、オケ版を聴きながら、改めてバッハの偉大さを思った(私が愛聴するのは、月並みながら1967年録音のシェリング盤)。