吉田秀和没後10年

 5月末から先週まで、朝日新聞で「ことばを奏でる」という連載をしていた。吉田秀和没後10年に当たっての追悼企画である。懐かしいと言うか、面白いと言うか・・・古き良き時代に接するような感慨を持って読んだ。
 私が特に面白いと思ったのは、連載第4回(6月2日)と第8回(6月8日)だ。
 第4回の見出しは、「小澤征爾は出ないけど 『決めるのは、あなた』客への問い」である。彼が館長を務めていた水戸芸術館で、2012年1月、水戸室内管弦楽団の演奏会に出演予定だった小澤征爾が、体調不良のため直前にキャンセルとなった時のことだ。
 館の職員が、指揮者なしで演奏会を開くことを告げたところ、客席から怒号が飛び、収拾が付かなくなった。その時、客席にいた吉田が立ち上がり、客に次のように語りかけたという。

「小澤は舞台に立てない。さて、どうする?楽員全員に尋ねたところ、全員が『演奏したい』と答えた。小澤が出なくて残念だけど、演奏家たちがやるっていうならそれを聴いてやろう。そうお考えの方は、どうぞお残り下さい。」

 「感情的なヤジに代わり、ゆっくりとわき起こった温かな拍手が会場を満たした。」と記事はコメントする。吉田の死ぬ4ヶ月前のこと。これが最後のメッセージだったという。
 貧乏性の私なんかは、小澤の出ない水戸室内管弦楽団のチケットがどうなったのか、幾ばくかの払い戻しがあったのかどうかに気を取られるのだけれど、そんなお金の話を抜きにして、音楽に向き合うということだけを考えたら、吉田の語りかけは説得力があった。
 第8回の見出しは、「次代の才能を発掘 武満・グールド・・・初めから見抜く」である。記事は、吉田が若い才能を見抜く感度は群を抜いていた、と評する。そして、吉田が見出した「若い才能」の例として語られるのは、黛敏郎グレン・グールド武満徹、伊東信宏、岡田暁生といった人々だ。
 黛敏郎という人は、政治思想的にはいろいろ問題のあった人だが、作曲家としての能力について、「見出す」ことが必要なほど目立たない人ではなかったはずだ。しかし、更に驚くのはグールドである。私には、グールドの生々溌剌としたバッハの価値が、人から説明されなければ分からない人がこの世にいるとは思えない。誰でも、少し聴きさえすれば、聴いた瞬間それが異次元の芸術であると分かる、グールドというのはそれほどのピアニストである。吉田が評価しなければ、日本人はその価値が理解できなかったというのは信じがたい。
 伊東信宏氏が、吉田の高く評価していた音楽学者だったということも知らなかった。氏の『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書)には、1997年、吉田秀和賞が与えられたらしい。私が持つその本が初版本だからか、本のどこにも「吉田秀和賞受賞作」であるとは書かれていない。それにしても、おそらく、バルトークという「辺境」ハンガリーの作曲家、それをテーマとして追求した伊東信宏氏に目を止めたあたりに、吉田の柔軟な精神が表れているといってよいのだろう。
 今回、吉田秀和という人が、大正~昭和前半に育ったことによる、現代とはひと味違う文化人であることを改めて感じた。最近よく目にする梅津何とかという人のような、独り善がり的な感じがしない。自然に蓄えられた豊かな教養が、自然に滲み出ている、といった感じだ。無理がなく、人の評価を求めている風もない。私がそんな氏の雰囲気を好ましく感じるのは、もちろん、今の世の中にそれとは逆のものがあふれているからである。ああ、吉田秀和氏が死んでからもう10年。まだ10年。