ニューイヤーコンサートのカラヤン

 金曜日の夜、部屋の片付けをしていたら、ジャケットに指揮するカラヤンが印刷された記憶にないディスクを見つけた。見れば、1987年のニューイヤーコンサートのDVDである。え!?こんなもの持っていたっけか?と驚いた。お正月にテレビで中継映像を見ていた記憶はあるし、CDを持っていることは知っていて、何度か聴いたことはあるが、DVDで見た記憶はない。6000円近くするDVDである。私がこんな高いものを買うわけがないし、買ったら見ないはずがない。誰かがくれたとも思えない。う~~ん・・・???
 年々、カラヤンという人物に対する関心が強まり、評価が肯定的になりつつある私である(→参考記事)。昨日の午前中に、いそいそとその新発見(笑)DVDを見てみた。
 びっくり仰天。本当に魅力的な演奏ぶりである。死の2年前、79歳。身体の衰えはそれなりにあって、椅子のようなものに座ってと言うか、寄りかかってと言うか、まぁ、そんな状態で指揮をしている。私がこれ以前に見たことのあるカラヤンの指揮姿と何が違うかと言えば、まずは目を閉じていないということである。その結果として、表情がとても豊かだ。しかも、シュトラウスファミリーの曲ということで、顔つきは明るく穏やか。笑みを浮かべることも実にしばしば。カラヤンらしくない、と言いたくなるほど楽しそうだ。
 7月下旬に、NHKでカラヤンの演奏会が放映された。1972年と73年、カラヤン60代半ばの脂がのりきった時期のベルリンフィルの演奏会だ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(独奏:A・ワイセンベルク)とチャイコフスキー交響曲第5番、ブラームス交響曲第3番である。
 例えばこの映像などは、従来のカラヤンのイメージ通りなのだが、終始目をつぶり、全く無表情に、気難しい顔でどんぶりからそばを食べ続けている(←分かりますか?=笑)。演奏者の側にカメラが向く時も、演奏者の表情は追わず、弦楽器奏者の手元や管楽器のベル(先端の開いた部分)ばかりが映し出される。カラヤンは映像へのこだわりがとても強い人だったので、その映し方にはカラヤンの意思が反映されているはずである。演奏がいくら音楽として素晴らしくても、見ていて面白くもなんともない。かろうじて、チャイコフスキーの第2楽章(第108小節~)の弦楽器がピチカートで演奏する部分で、ピチカート(弦をはじく)という奏法とまったく矛盾する極端になめらかな動作で指揮する姿に、意表を突かれて、おおっ!とのけぞるくらいだ。
 この映像を思い出すにつけても、ニューイヤーコンサートカラヤンはまったく特別だ。ニューイヤーコンサートだからでもあり、晩年、丸くなって、自分の思いを曲げることができるようになったということでもあるように見える。
 監督はハンフリー・バートン。バーンスタインの映像を撮り続けていた人だ。おそらくウィーンフィルだからということでの起用だろう。演奏者の写し方には、監督の意思が強く働いているに違いない。ただ、それとて、若い時のカラヤンであれば、決して自由にはさせなかったはずである。
 本当にいい映像だ。これなら、折に触れて見てみようという気になる。それにしても、なぜこんなDVDが、記憶から消えて我が家に眠っていたのだろう?その謎は解けない。