バーンスタインとミトロプーロス

 久しぶりでバーンスタインのDVDを買った。1970年6月7日にムジークフェラインザールのウィーンフィルの演奏会で、ベートーベンのピアノ協奏曲第1番を弾き振りしたものである。我が家には、バーンスタインのベートーベン集(全7巻)がある。そこにはピアノ協奏曲も収められているのだが、そちらは全て指揮に専念していて、ピアノはクリスティアン・ツィメルマンに任せている。第1番、第2番に至っては、バーンスタインのベートーベン集でありながらツィメルマンの弾き振りで、バーンスタインは登場しない。「私の愛したオーケストラ」というDVDで、モーツァルトの第17番を弾く姿を見ることができるが、第3楽章の後半だけである。以前から、完全な形でバーンスタインの弾き振り映像は欲しいと思っていた。このたび少し安い中古盤が見つかったので購入したのである。
 1970年と言えば、マーラー交響曲全集の録画が始まるわずか2年前なのだが、コンサートマスターコンマス)がウィリー・ボスコフスキーであることにまず驚いた。ニューイヤーコンサートを「世界のお正月行事」にした人である(テレビというメディアの登場とも関係する)。私にとっても、ボスコフスキーニューイヤーコンサートの指揮者だ。コンマスとしてバイオリンを弾くボスコフスキーを見たのは、たぶん初めて。マーラー等の全集で大活躍するゲアハルト・ヘッツェルは影も形もない。
 ステージ上の配置にも驚く。普通、ピアノの弾き振りというのは、鍵盤を客席側にして、演奏しながらオーケストラを眺め回せるようにするものだと思うが、バーンスタインは、少しピアノを傾けてはいるものの、基本的に通常の協奏曲のスタイル、つまり、客席から見て鍵盤を左側にし、反響板が客席に向かって開く形を取っている。弾き振りをするバーンスタインからすると、ビオラ以外の楽器は左に顔を向けないと見えず、バイオリンに至っては、背後にあって一切見えない。
 コンマスとの意思疎通のためか、コンマスをすぐ左後ろに置き、コンマスと客席との間に、別の第1バイオリン奏者の列がある。コンマスの所は2列目までだけが第1バイオリンで、その後ろには第2バイオリン奏者が座っている。
 バーンスタインウィーンフィルの映像のほとんどは、バーンスタインの伝記の著者でもあるハンフリー・バートンが監督を務めている。一方、今回のDVDはアルネ・アルンボムだ。アルンボムは、カール・リヒターの映像を多く残した人である。我が家にも、バッハのロ短調ミサ曲のDVDがある。残念ながら、教会の内部装飾だけが映し出されている時間が長く、私はまったく感心しない。あまりにもつまらないので、完全にお蔵入り状態だ。それに比べれば、今回のバーンスタイン映像は立派である。主役バーンスタインをよく追っている。
 ミスタッチも時々あって、必ずしも素晴らしい演奏だとは思わなかったが、ピアノと指揮とを兼ねながら、余裕綽々、気負いも緊張もなく、仲間と自由に心から音楽を楽しんでいるという雰囲気が伝わってきて魅力的だ。いかにもバーンスタインといった感じがする。私のような音楽的能力ゼロの人間には、なぜこんなことが可能なのかまったく理解不能だ。才能というのはすごいものだと感嘆する。
 映像もともかく、ライナーノートが面白かった。山崎浩太郎「伝家の宝刀を引っさげて」という文章だ。このベートーベンの協奏曲が、ウィーン祝祭週間中の一演奏会で、前半に弦楽四重奏曲第14番の弦楽合奏版を演奏した後のメインプログラムであったことや、この演奏会の祝祭週間中の位置づけ(特にカラヤンとの関係)などに触れた上で、バーンスタインの弾き振り(主に選曲)の特徴を解説する。それによれば、ピアノの名手バーンスタインは、弾き振りの定番であるモーツァルトやバッハ、更にはベートーベンの前期作品のみならず、ラヴェルショスタコーヴィチガーシュウィンといった20世紀の複雑な曲をも弾いたらしい。
 だが、話がバーンスタインから離れて申し訳ないが、そこに書かれていることの中で最大の驚きは、ディミトリー・ミトロプーロスプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を弾き振りしたという話である。ミトロプーロスは、ピアニストが演奏会を直前にキャンセルしたが、代役を探せなかったので、自分で弾いてしまったのだとか・・・。本当にびっくり!
 これは難曲中の難曲として有名な曲で、それゆえにコンクール決勝での勝負曲としてよく演奏される。私はいまだにライブで聴いたことがない。30分に満たない小ぶりな曲なのに、ピアノを弾くだけで心身ともにものすごいパワーが必要だということは、私のような素人が聴いているだけでも分かる。それを弾き振りしたとは!山崎氏は、それを「正気の沙汰とは思えない冒険」「『プロコフィエフの協奏曲第3番を弾き振りできる男』というのがミトロプーロスの金看板となって、アメリカで成功するための原動力の一つとなった」「ミトロプーロスだけの空前絶後の曲芸」と書く。
 この話は、「それに比べればバーンスタインとは言っても・・・」という文脈ではなく、バーンスタインが学生時代から強く影響を受けた人物としてミトロプーロスを登場させる中で語られるものだ。しかし、これを読めば、心はバーンスタインよりもミトロプーロスに引きつけられていくことをどうすることもできない。
 調べてみれば、ミトロプーロスプロコフィエフ第3番弾き振りは録音(CD)が入手可能だが、映像は見つけられない。音だけでは、それがどれほど異常な曲芸であるかは分からないだろう。う~ん、見てみたいなぁ。もはやそれは「音楽」というよりも、正に「曲芸」「サーカス」なのだけれど・・・。