内田光子礼賛



 今年の7月13日に、マリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団を振ったベートーベンについての一文を書いた。その関係もあって、最近、読者の方から、You tubeにアップされている、1971年にヤンソンスカラヤン指揮者コンクールに出た時の映像( http://www.youtube.com/watch?v=q1Bj7kQaiFk )が素晴らしいと教えていただいたので、見てみた。興味深いものではあるが、3分にも満たない短い映像である。しかも、冒頭の30秒はカラヤンのインタビューで、練習シーンも本番も合わせての2分半だ。これで何が言えるわけでもない。私が7月に見たベートーベンと全く違って、正確・丁寧に棒を振り、細かく指示を出す、いわば普通の指揮者である。

 画像の右側に、ヤンソンスに関する他の映像の見出し(バナー)が並んでいる。少し気になってつまみ食いをしたところ、ある映像に釘付けになってしまった。2011年3月に、ミュンヘンのガスタイクホールで、ヤンソンスバイエルン放送響に内田光子が客演してベートーベンのピアノ協奏曲第3番を弾いた時の映像である( http://www.youtube.com/watch?v=z2HBIAubQH0 )。第1楽章のみ、17分41秒の映像だが、正に食い入るように見てしまった。あまりにも感心したので、意識して探してみたら、今年の「BBCプロムス(音楽祭)」における、同じメンバーによる第4番が見つかった( http://www.youtube.com/watch?v=9a7XiHRjTGI )。こちらは音質が悪く、内田自身のミスタッチも第3番に比べると多いが、立派なベートーベンであることには変わりがない。冒頭のインタビューと、ピアノが休みの時、オーケストラに聴き入る彼女の表情が非常に魅力的だ。

 内田光子が、音楽家として日本人を代表する巨匠であるというのは、時折言われることであると思うし、私自身も確かにそうなのだろうと思っていた。だが、この映像を見て、今更ながらにこの女性ピアニストのすごさを見せつけられた気がした。女性のピアノとは思えない硬質・強靱なタッチで、ベートーベンそのものとしか言いようのない立派な音楽を作る。学生時代に、一度だけこの人のステージに接したことがあり、その時もベートーベンの3番だった(小林研一郎+読響、1981年9月7日仙台)。ひどく感激したことは鮮明に覚えているのだが、詳細は思い出せない。

 内田光子という人は、若いうちからそれなりに実力のあった人で、国際コンクールでの入賞歴も多いのだが、1位になったのが1度しかない(ウィーン・ベートーベン国際コンクール、1969年=21歳)ことや、コンクール入賞だけでは生きていけない厳しい現実(音楽市場)もあって、うだつの上がらない日々が長く続いた。彼女が国際的に真に認められたのは、1982年に東京とロンドンで行ったモーツァルトソナタ全曲演奏会が高い評価を受けてからである。歳、既に34歳。知名度に関しては相当「晩成」の部類に入る。してみれば、私がその前年、仙台で彼女の演奏に接することができたのは、幸運にも(?)売れる直前だったからである。今なら、チケットもずいぶん高額になり、もしかすると入手しにくくもなるだろう。そもそも、日本のオーケストラの地方公演になど、同行してくれないのではないか?内田は、1984年に同じくモーツァルトの協奏曲を全曲録音すると、ベルリンフィル定期演奏会にも登場し、名実ともに「世界の内田」になった。

 彼女が名声を得るきっかけとなったのはモーツァルトで、我が家にもモーツァルトの録音しかないが、かつてFMか何かのインタビューで、彼女自身が最も好きな音楽家としてベートーベンの名前を挙げ、ずいぶん熱っぽく語っていたのを聞いた記憶もある。You tubeで見た演奏は、内田光子のピアニストとしての実力と、ベートーベンに対する深い思い入れとによって生まれてきた「名演」と言うべきだろう。彼女の弾くベートーベンを、もう少しじっくり聴いてみたいという思いが、にわかに強くなってきた。

 きっかけはヤンソンスだったのだが、今や頭の中はすっかり内田光子である。もっとも、伴奏(?)がよいから、ピアノにも集中できるということなのだから、ヤンソンスにはそれでよしとしてもらおう。