瀬峰飛行場

 仕事が始まって早々の三連休、することはたくさんあるのだが、1日だけは遊ぼうと思っていた。昨年9月以来、ダイエットも兼ねて、鉄道で行ける野山歩き(走り)にはまっている私が、何番目かのターゲットとして定めたのは、瀬峰(せみね)~築館(つきだて)であった。築館(現宮城県栗原市)などという町は、内陸の中の内陸。町の中心から5㎞弱の所に東北新幹線くりこま高原駅」こそあるものの、在来線からは遠く離れていて、バス以外の公共交通手段で行くことができるとは思いもしない場所である。ところが、地図をよくよく見てみると、JR東北本線瀬峰や梅ヶ沢、新田(にった)といった駅から10㎞あまりしか離れていない。JRの駅が標高30~40mで、途中は50~80mの丘陵地帯だ。
 起点を瀬峰にしたのは、築館最寄りの(?)3駅の中で石巻から最も近い、というだけではない。なんと、瀬峰には「瀬峰飛行場」なるものがあるのだが、私はそれを見たことがなかったのである。私がそんな飛行場の存在を思い出したのは、昨年の11月頃に、新聞で「セミネ飛行場まつり」が開催された旨の記事を目にしたからである。
 調べてみれば、瀬峰に着いてから2時間半後に築館→瀬峰のバスがある。15㎞弱の距離を寄り道しながら走るには実にほどよい時間だ。というわけで、ルートが決まった。本当は、クリスマスの土日に行こうと思っていたのだが、老母のお世話に呼ばれたので、延期の結果が今日である。

石巻駅8:24--(JR小牛田乗り換え)--9:17(が3分遅れて9:20)瀬峰駅9:22・・・9:58瀬峰飛行場10:08・・・10:33国道4号線+東北自動車道築館IC入り口・・・11:00杉薬師(双林寺)11:15・・・栗原文化会館11:38==(栗原市民バス)==12:00瀬峰駅12:26--(JR小牛田乗り換え)--13:17石巻駅

 小牛田駅で乗り換えた東北本線一ノ関行き普通列車は、2両編成のワンマンカーだった。しかし、瀬峰で下りると駅員さんがいる。「おお!さすがはかつての急行停車駅だ」と感動したところで、もはや「急行停車駅」、いや「急行」そのものが死語であることに思い至り、少し寂しくなった。約50年前、私が子どもだった頃は、「特急」「急行」、「特急停車駅」「急行停車駅」というのは輝いていた。今は「新幹線」と「その他」になり、その結果、東北本線でさえワンマン運転である。
 駅を出ると、瀬峰の案内看板(絵地図)が目に入る。いつから手入れされていないのか分からないが、「築館高校瀬峰分校」を見付けて懐かしくなった。実際に訪ねたことはないが、そう言えば、そんな学校があったっけ・・・。「急行停車駅」がなくなったのと同じ感慨を抱く。帰宅後に調べてみると、正式名称は「瀬峰分校」ではなく「瀬峰校」で(本記事末の「注」参照)、2007年に閉校となったらしい。看板の絵地図では場所もよく分からない。駅前を歩いていた老人に尋ねてみても、場所については要領を得なかったが、建物はすっかり取り壊されてしまったとのことだった。駅前にはパチンコ屋の残骸も含めて、かつて急行停車駅だった時代の繁栄を思わせる商店や飲食店の建物がたくさんある。ほとんどは閉店したと見えて、なんとも寂しい光景だった。
 瀬峰川に沿ってゆっくりと走る。田んぼにはたくさんの雁や白鳥がいる。ラムサール条約指定地・伊豆沼が近くにあることを思い出した。どの群れも、まるで計ってでもいるかのように、私が50mくらいまで近づいたところで一斉に飛び立つ。
 さて、瀬峰飛行場である。今回、本当に驚いたのだが、なんと国土地理院発行の2万5千分の1地形図には、飛行場が載っていない。宮城県版の『ライトマップル』という道路地図には載っているので、重ね合わせてみると、「ははぁ、この辺だな」と分かる。小深沢という所だ。この地形図の問題は、明日にでも改めて書きたいと思うが、それはともかく、実際に現地に行ってみても、看板は出ていない。この道の先にあるはずだという確信に従って、「(株)ケイ・エム・アクト」という看板の建つ瀬峰川の河岸段丘を上っていくと、突然、目の前に2機のセスナ機が見えた。大きな建物があるわけではなく、しかも河岸段丘上にあるため、下の方を通る市道からは全く見えないのである(マチュピチュみたい)。
 この飛行場は、今日の目玉なので、ちゃんと予習をした(主に東日本パイロット協会のHPとWikipedia。ただし、Wikiは「書きかけ項目」で、少し怪しい)。それによれば、「瀬峰飛行場」は通称で、正式には「瀬峰場外離着陸場」と言うらしい。「栗原瀬峰飛行場」とか「栗原飛行場」とも言う。1976年に開港した。1988年以来、村上商会という航空機(主にヘリ)部品を作る会社が所有している、いわば私物である。製品試験を行うことを目的として取得したのだろう。当然のこと、定期の旅客機が発着していたりはしない。幅20m、長さ500mの滑走路が1本と、ヘリコプター用のパッド二つがあるだけである。
 私がたどり着いた時、たまたま、プレハブ小屋から人が出てきた。年齢が私と同じくらいの、いかにも善人といった感じの人である。ここに来る人など滅多にいないのだろう。向こうも驚いた風であった。挨拶をすると、フェンス越しではあるが、自然な会話が始まった。
 その人によれば、「飛行機の離着陸は週に1回くらいしかない。離着陸用の誘導電波も出ておらず、全ては有視界飛行である。農薬散布といった実用飛行もほとんどない。年に1度、秋の「飛行場祭り」の時だけは賑わうが、地元でも、この飛行場の存在を知らないという人はいるだろう。外部からの飛行機に給油する設備はなく、所有者が燃料を多少置いてはいるだけだ」とのことだった。
 東日本パイロット協会のHPによれば、現在の500m滑走路からでは、どんなに頑張っても宮崎までしか飛べない。滑走路を720m、更には1000mまで延長する計画があって、実現すると北京や台湾へのフライトも可能になるというが、閑散とした飛行場を目の前に見ると、それが実現するとも、実現させる価値があるとも思えない。もしかすると、この「計画」は、ずっと昔から「そのうち」の「願望」としてあり続けているだけなのではなかろうか。
 天気予報では「晴れ」だったのだが、生憎、朝から霧というか靄というかがかかっていて視界が悪い。太陽が昇れば晴れるかと思っていたが、私が瀬峰飛行場に着いた時にもまだ晴れず、視界は100m程度しかなかった。そのため、飛行場の全貌を見渡すこともできず、セスナ機によって飛行場の存在を感じただけになってしまった。
 それでも、存在確認はできた。今日のところは、それでよしとしよう。都合が付けば、秋の「飛行場まつり」の時にもう一度訪ねてみよう。集まってきた人についても含めて、面白い発見があるかも知れない。


(注:今は宮城県内で2校だけになってしまったが、昔はもっと多くの分校が存在した。なぜそれらを「○○分校」とは言わずに「○○校」と言うかというと、「分校」を称すると、法令上、職員に手当を支給しなければならない。それを避けるために、あえて「○○校」にした、という話を聞いたことがある。本当かどうかは分からない。)