仙石線復旧はめでたいが・・・



 昨日は、午後、河北新報本社で行われたNIE(Newspaper In Education=教育に新聞を)の役員会に出席した。会議が終わると、17:10だった。何時のバスに乗ろうかと思い、ふとJRにしようと思い直した。「17:58に石巻行きのノンストップ快速がある。明日は5月30日で仙石線が復旧開通する日だ。ということは、小牛田(石巻線)経由のノンストップ快速は今日を最後に廃止となる。夕暮れ時に、浜田の海岸で松島湾を見るのもいいな。」と思ったわけである。

 快速の記念すべき最終列車は、いつもに比べて特に混んでいたということはない。「石巻行き」と書かれた行き先表示を写真に撮っている人が目に付いた、という程度である。それも、いわゆる「撮り鉄」ではなく、普通の利用者が最後の記念に撮っていた、という感じであった。

 今日は朝から石巻駅に行った。仙石線の開通記念式典があったからである。仙石線が復旧するというのは、私にとってもそれなりの感慨を催す出来事であるが、かといって、私は、電車に乗る用事もないのに、わざわざ儀式を見に行くような人間ではない。しかも、わざわざ見に行くのであれば、5:25の始発でなければ意味がない。始発が出てから、つまりは開通してから3時間も経ってから形式的な開通式典をして何になるだろう。ただ、その式典で演奏する石巻小学校の鼓笛隊に娘が参加していたので、それを見に行ったのである。

 駅前はごった返していた。ホームが狭いからであろう。小学生の鼓笛隊は、レンタカー会社の駐車場に並び、目の前のホームには、金色のくす玉がぶら下げられ、来賓のための座席が50ほど並べられ、多くの報道関係者がカメラを構えて準備していた。

 仙石線は、今回の復旧に際し、津波で特に大きな被害を受けた野蒜〜東名付近の線路を、500mほど内陸に移設するとともに、松島付近で、東北本線との接続路を作り、快速列車が、そこから東北本線に乗り入れて仙台を目指す、という形にした。その方が時間短縮になるらしい。そして、それを「仙石東北ライン」と名付けた上で、電化方式の違う2路線と非電化の接続線を走らせるために、ディーゼルハイブリッド車を新造した。

 私が駅に着いた時、2番線に停まっていた仙台行き快速のハイブリッド車は、ステンレスに青とピンクを施した美しい車両だった。ところが、間もなく手前の1番線に、旧来の仙石線車両(山手線型)が入ってきて見えなくなった。入場券を買ってホームに入らなければ、快速列車の出発も見送れない。

 見えないままに8:11の快速が発車し、見えないままに8:18に仙台からの快速列車が到着し、8:37の普通列車が発車すると、再び快速列車が見えるようになる。ここでようやく式典も見えるようになった。国会議員やら県知事やら、地元自治体の首長やらJRの副社長やら、ずいぶん仰々しいメンバーが揃っているようだった。最後はテープカットとくす玉割り。この直後、9:00に普通列車が到着すると、再び式典も快速列車も見えなくなり、9:02、そのまま快速列車は発車して行ってしまった。外野から見ていると、なんだかスッキリしない。普通列車の側面に向かって演奏させられていた小学生の鼓笛隊も少し気の毒だった。

 線路の移設によって、1.2キロ短縮され、更に東北本線への乗り入れによって、最速の快速列車は震災前より10分速い52分で仙台に着く、というのが大々的に宣伝されている。しかし、それは1日1往復に過ぎず、他の快速列車は60〜65分かかる。しかも、塩釜や多賀城には普通列車でしか行けないので、むしろ不便になった。

 私が昨日仙台から乗ってきた小牛田経由の快速列車は、67分なので、ほとんど変わらない。距離は、仙石東北ラインの仙台〜石巻が49.2キロであるのに対して、小牛田経由だと71.1キロもある。いくら小牛田経由はノンストップ(乗客の乗降できない信号停車が2〜3回ある)、仙石東北ラインは最速の列車でも3駅に止まるとは言っても、なんだか変だな、と、だまされたような気になるのは私だけだろうか?電車はバスよりも時間が読めるし、最終がバスより2時間近く遅いなど、メリットもあるのは確かだが、あまり便利になったような気がしない。やはり、私が再び仙台に通勤するなどというのはあり得ないな。

 式典が気持ちよく見えなかったことも含めて、もやもやしている。出て行く列車は混んでもおらず、駅前の仙台行きのバス停には、なぜか昨日までと同様の行列が出来ていた。