検証・仙石東北ライン(3)



 昨日、過去約30年の仙石線快速列車について、その本数と、タイプ別の所要時間を調べたわけだが、その時に問題としたのは、仙台発石巻行きの列車(下り)についてであった。実は、同じ線路の上を、同じ停車駅で走るにもかかわらず、逆方向、すなわち、石巻発仙台行きの列車(上り)は、どの時期にも3〜6分時間が余計にかかる。これはなぜかというと、仙石線東塩釜以北は単線で、すれ違いを駅で行う必要があるのだが、その場合、先に駅に着いて対向の列車を待つのは「上り」と決まっているからであろう。「上り」が待つというのが、政治的判断で決められたのか、駅間距離との関係でそうせざるを得ないのかは分からない。

 実は、この線路の構造に関する問題は、快速列車の所要時間や、今回の仙石東北ラインの開通にも影響を与えている可能性が高い。

 仙石線は、東塩釜以北が単線で、列車交換のできる7つの駅でしかすれ違いができないというだけでなく、仙石線全線で、後続の列車が先行した列車を追い越せない構造になっている、という問題を抱えているのである。つまり、快速列車は、スピードアップを図れば図るほど、先行する普通列車に追いつきやすくなるので、普通列車が追いつかれないためには、先行する普通列車が出発した後、長い時間の後に快速列車が出発するというダイヤを組まざるを得ない。石巻市民が仙台に出やすい快速列車を設定しようとすればするほど、快速列車発車の直前に「ダイヤの空白」が大きくなるというデメリットが生じるのである。

 具体的に見てみよう。快速列車が最も速かった1992年の特快の例である。


特快18:05仙台発、18:49石巻着。

この前に時間をさかのぼると、仙台発の普通列車は次の通りである。

17:46東塩釜行き  17:37東塩釜行き  17:25 東塩釜行き  17:15石巻行き(石巻着は18:41) 17:05東塩釜行き


 基本的に約10分刻みで電車は動いているが、特快が出る前だけは19分空いている。東塩釜は仙台から17キロほどなので、おそらくそれが追いつかないためのギリギリの時間差なのだろう。石巻行きは、特快よりも50分早く仙台を出るのだが、どんどん追いかけられた結果として、石巻到着の時には8分うしろに特快が迫っている。ちなみに、1997年は、18:01仙台発の特快の12分前に普通列車が出発しているが、これは仙台から12.4キロの多賀城行きである。つまり、特快が出る直前に列車を走らせることは必ずしも不可能ではないが、特快との時間差が小さければ小さいほど、特快に追いつかれないために、仙台から近い所で運転を終了し、折り返し運転するか車庫に入るかしなければならないのである。そして、今回の復旧ダイヤでは、次のようである。


特快9:24仙台発、10:16石巻着。

9:22小鶴新田行き  9:13東塩釜行き  9:07小鶴新田行き  9:01小鶴新田行き  8:56高城町行き(高城町着9:40で、高城町に9:50に着く仙台9:24発の特快に接続している。)  


 当然のことだが、仙石東北ラインの快速列車とは無関係に、仙石線普通列車のダイヤは組まれている。仙台から5.1キロの小鶴新田で運転終了の列車が多いのは、朝の通勤時間帯に走っていた列車が、続々と車庫入りする時間帯だからであるに過ぎない(小鶴新田の東に車両基地がある)。「ダイヤの空白」は存在しない。

 おそらく、JRが快速列車を仙石線の南半分から追い出した本当の理由は、高速化ではなく、ダイヤの問題なのである。こうなると、メリットとデメリットの比較は、快速列車が速くなったことと、あおば通駅まで行かなくなったこととの比較ではなく、普通列車の空白時間が減ったことと、快速列車があおば通駅まで行かなくなったこととの比較でなければならない。普通列車に20分の空白が生じることの不便さを、私は切実に感じることができないので、それらの比較は不可能である。だが、それは言い方を変えれば、石巻地区の住民にとっての利便性と仙台〜塩釜の住民にとっての利便性のどちらを優先させるかという問題であり、一種の権力闘争なのだ。

 また、上の比較で、1日に1本しかない特快が、1992年、1997年には夕方で、2015年には朝になっている点にも注意が必要だ。特快の運行時刻は、朝夕が仙台と石巻で常に逆になっている。つまり、1990年代の仙台発特快が夕方ということは、石巻発は朝であり、今は仙台発が朝で、石巻発は夕方だ。これは、1990年代には、石巻の人が仙台を往復するために特快は運行されていたが、現在は、仙台の人が石巻を往復するために運行されている、ということである。これも、仙石線を仙台・石巻どちらの視点で考えるかという姿勢の反映である。石巻への人の流れを優先させているという意味で、石巻を尊重しているようにも見えるし、仙台の住民にとっての利便性を優先させて、石巻をないがしろにしているようにも見える。だが、「ダイヤの空白」問題と関連させて考えるとすれば、残念ながら後者の可能性が高い。

 接続線を作り、ハイブリッド車を投入して、東北本線乗り入れをするよりも、途中どこかの駅を改造して、追い越しダイヤを組んでくれればよかったのに・・・と思う。そうすれば、新たなデメリットを生む必要はなく、メリットだけを手に入れることが出来たのだ。JRがそれをしなかったのは、おそらく、お金と工期の問題だろう。また、駅を改造するだけでは、列車交換と追い越しという二重の縛りによる複雑なダイヤを組まなければならないが、それを回避しようとすれば、単線部分の複線化という今回とは比較にならない更に大規模な工事をしなければならない。もちろん、それは出来ない相談だ。

 仙石線が抱える問題を解決させる最高のチャンスは、今回の震災からの復旧工事であった。それがひとまず完了してしまった今、メリットとデメリットの間で悩む状態はもう解決することがないのだろう。私なんかは、普通は月に2〜3回しか仙台に出ないし、地下鉄に乗り換える機会も多くないので、あまり大きな影響は受けないが、これが、毎日快速で仙台まで行き、地下鉄に乗り換えて仙台南高校に通勤しているとかいう状況なら、腹立たしいほどにストレスを感じるだろうな、と思う。ま、仙石線の利便性に文句を言うのなら、石巻にこもって独自の文化圏・生活圏づくりに励め、ということ・・・かな?(完)