明治天皇行幸の驚きと杉薬師

 瀬峰飛行場を見ることが、ほとんど唯一の目的だった今回のRunだが、意外な発見の連続で、とても面白かった。少し記録しておこう。
 飛行場を後にして築館に向かうと、「⇔旧奥州街道」という新しい石碑が建っている。矢印の方向を目でたどると、「街道」と言うには似合わない小径がある。地形図にも載っていない道だ。この石碑は、この後何度か目にした。木柱だった所もある。私は、現在の国道4号線がかつての奥州街道だと思っていたので、少し驚いた。帰宅後、奥州街道の正確な位置を地図で確かめてみたいと思い、ネットで探してみたが、栗原市のHPを始めとして、言及はあるものの、地図は見付けられない。
 市道を離れて八沢放牧場の方に向かってルートを取ると、少し大きな道と交わるところに「明治天皇行幸記念碑」と書かれた木柱が建っていて、一段高いところに細い石柱が建っている。石碑と言うよりは石柱と言った方がいいほどひょろっと細い黒い石の柱だ。側面に刻まれた文字を頑張って読んでみると、明治天皇は明治9年7月2日と14年8月15日の2回、この地にやって来たそうだ。
 井上清純編『明治天皇行幸年表』(1933年、大行堂=国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている)によれば、明治9年(1876年)は「奥州御巡幸」と称し、6月2日に東京を出て陸路で北上し、最後は7月18日に函館から船に乗って、20日に横浜に戻った。14年(1881年)は「山形秋田及北海道行幸」と称し、7月30日に東京を出て、やはり陸路で東北の太平洋側を北上し、北海道に渡って札幌まで行くと、引き返して、今度は東北の日本海側を、今の奥羽本線に沿う形で南下して10月11日に東京に戻っている。前者は1ヶ月半、後者に至っては2ヶ月半にも及ぶ大旅行だ。そして確かに、明治9年7月2日と14年8月15日は、共に古川から高清水を経て築館まで移動している。東北本線が一ノ関まで開通したのは明治23年、日本に初めて自動車というものが持ち込まれたのは、明治30年頃らしいので、馬か何かでの移動だったのだろう。目的が何かは分からない。ただ単に、日本の地方の実態を見てみたい、というだけだったのではないか、という気がする。準備をする裏方さんも含めて、途方もない作業だ。ちなみに、『明治天皇行幸年表』は313頁もあり、明治天皇は死の前年、明治44年11月まで、東京を離れるような大がかりな行幸を相当数行っている。
 八沢から東北自動車道築館ICの所で国道4号線に出るまで、私はこの旧奥州街道を歩いたのだが、けっこうじゅくじゅくとぬかるんでいて、しかも落ち葉が積もり、わずかとは言え、その上に雪まで積もっていたのだから、決して快適ではなかった。コンディションがよければ、風情のあるいい山道だったのだろうけど・・・。
 築館の中心部に行くのなら、国道4号線を歩くのが近いのだが、騒々しい道が嫌だったので、ICの入り口の所で国道を渡り、栗原市役所の裏に出る道を行くことにした。時間があれば、栗原市民図書館の中にあるこの地出身の詩人・白鳥省吾(しろとり せいご)記念館にでも立ち寄ってみようかと思っていた。
 そうしたところ、築館小学校の裏を過ぎた所に、「奥州杉薬師如来」という看板が建っていた。趣のある幅の広い石段が上に延びている。急遽、ここに寄り道することにした。少し上ると、「←薬師堂の姥杉」という看板があって、すぐ右手にその「姥杉」とやらがある。案内板によれば、推定樹齢1200年だそうである。平安時代が始まった頃に芽を出した杉と思えば、それなりの感慨も湧いては来るが、上の方に生きた葉が付いてはいるものの、ほとんど枯死状態で、地面から3mくらいの所まである大きなうろにはコンクリートが塗り込んであった。気息奄々、無理矢理生を強制しているようで痛々しかった。
 姥杉の脇から階段を上って丘の上に出ると、双林寺というお寺がある。山号は医王山。さすがは薬師如来のお寺だ。孝謙天皇の勅願で760年に作られたという由緒あるお寺らしいが、残念ながら本堂はコンクリート造り、ピカピカの現代建築だ。その西に杉薬師瑠璃殿という木造の立派なお堂が建っている。18世紀末頃の建物らしい。地元の棟梁によって作られたらしいが、蛙股、三手先、宝形屋根を持つ三間四方の立派なお堂だ。釘が一本も使われておらず、全てくさびで部材が固定されているという。瑠璃色はしていない。古びた無垢材も魅力的で、一見の価値がある。
 瑠璃殿の西にも丘は伸びている。戦没者慰霊碑や素朴な遊園地があり、展望台としてもいい。瀬峰駅前にあったような色あせた古い絵地図(案内看板)が建っていて、それによると、以前は保存SLや売店もあったらしい。売店まであったというのはびっくりだ。白鳥省吾記念館に行く時間はなくなってしまったが、いい所に寄り道できたと思う。
 栗原文化会館前から乗った市民バスは、県道29号線を瀬峰駅までまっすぐに走る。往路と違う景色を見られたことはよかった。ありがたいことに、このバスはどれだけ乗っても100円である。乗った時に、料金箱に100円玉を入れようとしたら、運転手さんが慌てたように「あっ、お金は下りる時ですよ」と言う。乗車区間に関係なく100円なのだから、別に最初でも最後でもかまわないはずなのに・・・???