南浜地区復興祈念公園迷走曲(3)



 うっかりしていたが、今月23日は、このブログの誕生日であった(天皇陛下と同じ=不敬罪だな(笑))。早いもので満6歳。それ以前の文章をデジタル化して貼り付けたりしていることもあって、記事の数は1389本。アクセス数は、2012年7月23日以降の分だけが分かっている(内緒=メモリアルな瞬間にでも発表しようかな・・・)。ただ、私の授業を受けている生徒の数よりはるかに多いことだけは間違いない。一方、私の授業を受けている生徒は、こんなに文字数の多い文章は絶対に読めない。変なの・・・。

 さて、前の記事を書いた翌日、クリスマスイブの24日も、南浜地区復興祈念公園の勉強会であった。前の3回と同様、ああでもないこうでもない、と話が続く。私も含めて参加者全員が文句なしに一致しているのは、聖人堀という、震災前から暗渠になっている堀を開渠にするということだ。追悼施設を作るのなら、昔の住所表示で南浜町2丁目3〜4番地に相当する高さ1.5mあまりの自然丘がよい、というのも大体一致している。例外は、それさえ要らないと言っている私だけだが、私としても、石碑を1本建てるくらいのことなら容認で、場所はそこだな、と思っている。一方、やはり異論が多くて紛糾するのは、避難施設という位置付けの「築山」の位置である。

 私は、その場所の議論をしてしまうと、市が示している基本計画を受け入れる前提になってしまうので、「作らない」という結論に追い込むために場所に文句を付けるならよいが、まじめに場所の議論をしないで欲しいなぁ、と思いながら聞いている。

 そうこうしているうちに、築山を作らないとか、公園計画そのものを見直すとか、それが可能なのかという話になり、持ち出されてきたのは、協議会の「設置要綱」であった。そこには、第2条に次のように書かれている。

協議会は、石巻市南浜地区復興祈念公園(仮称)にかかる、次の事項について検討を行う。

(1)公園の利活用を踏まえた整備内容の検討

(2)公園運営組織のあり方の検討

(3)その他必要な事項

 過去3回の勉強会では、公園整備そのものに懐疑的、もしくは否定的な人もいることが実感できて、実際、24日の勉強会でもそうだったのだが、一方、ひどく「大人」な人もいるのである。つまり、設置要綱に「利活用を踏まえた」と書いてあるのだから、基本計画自体を根本的に問い直すことはこの協議会の設置目的ではなく、自分たちがその点に口を挟むことは越権行為だ、という立場である。毎回、参加者が若干変わるので、誰が出ているかによって雰囲気は変わるのだが、24日については、基本計画には口を挟めないと考えている人が多かったように思う。その結果、あくまでも市が示した基本計画をベースにして、各論の部分で多少の意見を言う、にトーンダウンしてしまったのである。

 勉強会の終了間際に、某人が来て、自分の意見を書いた紙を配り、すぐに帰ってしまった。見れば、前回私が配った意見書(「前の日」参照)が相当カチンときたらしく、私の意見に文句を言う形で、自分の思いをつづってある。それを読んで、納得しているような顔をしている人がいるようには見えなかったが、何だこれは、と憤っている人は何人かいた。とにかく、人の意見をまとめるのは難しいのである。

 解散後、数人の人が残って雑談になった。どちらかというと私に近く、土木工事をできるだけさせたくない、そのためには協議会が計画の根本的見直しを迫る場になって欲しいと思っている人たちである。しかし、協議会の限界を受け入れようという立場の人もいる。意外にもその人が、公園の計画について「人間の業ですよ。震災の後に人間がやったことこそが、教訓として語られるようになるんじゃないですか?」と言った。なんだ、分かってるんじゃん。私はそれを、今までもこのブログその他で散々言ってきた。私は「あなたもそう思いますか?防潮堤、高盛り道路、公園・・・早ければ10年、もしかすると30年、遅くとも50年後には間違いなく多くの人が後悔を始めるでしょう。だけど、やはりその時には、政治について何も考えず行動もしない自分を棚に上げて、昔の政治家や行政がバカだったせいで・・・と言うんでしょうね。ま、人類がその頃まで生きていればの話ですが・・・」と答えた。近くにいた女性が、最後のフレーズで大きくうなずいていた。

 次回は来年。勉強会を踏まえて、県や国の担当者にも来てもらって意見発表会をすることになった。(そのうち「続く」)

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