南浜地区復興祈念公園迷走曲(7)



 今日は、「報告会」というのが開かれた。年末に届いた文書によれば、呼び掛け人は協議会副会長のKさんで、この2ヶ月ほどの間に行われた多くの勉強会で学んだことを報告する場だという。しかし、実際には、勉強会の内容を踏まえた、参加者による自由な意見発表の場であり、いつものような市の職員だけではなく、県や国の担当者も来るという話が聞こえていた。

 会場がどんな場所かも知らなかったので、国交省の役人(東北国営公園事務所長W氏)まで来るとなれば、100人くらいは入るスペースだろうと思っていたら、案外小さかった。集まったのは22人。協議会のメンバーは10人くらいで、あとは行政の方々であった。いつも過激な発言をする和尚さんや、私がその見識を信頼する大学の先生などの参加はなく、行政からそれなりの面々が来た割りに低調だな、と思った。平日の18時からというのは、確かに厳しい。

 一人10分の持ち時間で7人が発表し、その度に質疑応答があった。私は2番目だった。ほとんどいつも通りのことを話したのだが、前回(→こちら)と比べ、少し変わった点がある。それは、この1ヶ月半の勉強会で、私なりに意見を一つにまとめることの難しさを痛感したからだ。つまり、会議は開けば開くほど紛糾する、こうなった時に最後はどうするか?ということを自分なりに思案したのである。

 至った結論は、利活用を考え、そのための設備を作れば、逆にそれによって縛られ、異論を持つ人を排除することになってしまう、だから、どのように利活用する→そのために何を作る、ではなく、あるがままの現状を残す→それを利用して何が出来るか、という発想に切り替える、それによって寛容な空間を作る、というものだ。つまり、できる限り手を加えないということは変わらないが、そこに「後世に負の遺産を残さない」というだけでなく、「様々な感じ方考え方の人を寛容に受け入れる」という目的を加えたわけだ。10分間話をした上で、意見の概要を書いた紙を配った(しつこいので、「参考」として下にぶら下げます)。

 他の人の意見について詳細を書く余裕はない。私とずいぶん考え方が近いと思っていた人が、意外にあれこれと付け加えの企画提案をしてみたり、斬新な試みと提案とをさんざん語った人が、実は案外特別な設備を求めているわけではないことが分かったり、少しちぐはぐな気分で、面白いものだなと思いながら発表を聞いた。それでも、やはり人工的な公園を積極的に作りたがっている人がいるようには見えず、住宅の基礎を残すという発想も共通だ。各自の表現はバラバラでも、私と分かり合える部分は大きいようにも思えた。

 終了後、国交省のお役人Wさんと立ち話をした。この方は、閉会の挨拶で私の意見に長々と言及してくれたのだが、彼も、おそらく南浜の公園は、お金の問題もあって、現状を出来るだけ保存したものになるのではないか、と言う。続けて、岩手県陸前高田の復興祈念公園の話になった。

 高田にも国主導で復興祈念公園が作られつつある。Wさんは、高田の公園は石巻と正反対だ、と言う。高田の公園は、元々の市街地に作られるのではないということや、地元の要望もあって、ぴしっと人工的に整備された公園なのだそうだ。最後に、どちらともなく「南浜は現状を最大限残し、同じ被災地の公園を差別化するというのもいいですね」という会話になった。それでも、私は半信半疑、国や自治体は土木工事をやりたがるだろうとは思っているが、一顧だにされないよりはいい。(そのうち続く)


(参考)私が配った紙・・・書式が保存できないので、ここにコピペすると読みにくい。

*私の基本理念=総論

 出来るだけ多くの人が、各自の意思に基づいて公園を利用できるようにするとともに、後世に負の遺産(借金、維持管理の労力、資源消費、余計な二酸化炭素)を残さない。

*私が思うこと(勉強会で分かったことも含めて)=各論

1)人の考え方は多様であり、それを一つに収斂させることは非常に難しい

 → 権力によって無理矢理統一すべきものでない。多様性を包含させる努力をすべきだ。

2)「多くの人に来て欲しい」と「安全を確保する」の二律背反

・予防は必ず過剰になる性質を持つ。

・公園で津波に遭う確率より、今日、帰宅途中に交通事故で死ぬ確率の方が圧倒的に高いはず。

・最少限の注意喚起をする。自己責任という考え方も必要。

3)公的な「追悼」は本当に必要か?

津波の犠牲者に社会の責任は小さい=戦争の犠牲者とは意味が根本的に違う。

・ここに追悼施設を作るなら、あらゆる自然災害について同様のものを作るのがスジだ。

・何かを作れば祈りは形式化する。大騒ぎの口実に「追悼」を使ってはならない。

・被災者も感じ方、求めているものはバラバラである。

4)「基本方針」に「整備する」が頻出することの意味とは?

人が手を加えなければ、公園を作っていることにはならないという発想がある。

5)私たち人間は、自然と陣取り合戦をしているのだろうか?

人が住まない場所を、どうしても人間の支配下に置かなければダメなのか?

6)「利活用を考える」の考え方

・このように利用したい→そのために何が必要か・・・付け加えの発想方法

 このような状況である→それを利用して何が出来るか・・・付け加えない発想方法

今は、前者であることが当然として進められているようだ。それが、果たして「先入観」でないかどうか・・・?

7)公園完成後の維持管理は着工前に直視し、解決させておかなければならない問題だ。

現時点では、まったく考えられていないか、希望的空論(ボランティア、企業による支援など)だけが語られている。

8)大きな土木工事をして、立派な公園を作ったと誇る(従来の役所の論理)よりも、市民の多様な意見を出来るだけ尊重し、更に後世への配慮を尽くすことこそが、社会の先進的な取り組みとなり、長期的に見て誇れるようになるのではないか?

                    ↓(以上より)

・植生も含めて、できるだけ現状をいじるべきでない(自然が自然を選択する)。

・聖人堀を開渠にするのは可。

・ゴミを撤去する必要はあるが、残った住宅基礎などは撤去せずそのままにする。

・震災前の住所表示を刻んだ標識を所々に設置する。

・公園内を散策するための遊歩道(木道?)は整備する。

・四阿くらいはあってもよい。

・旧矢本海浜緑地のような公園施設は限られた面積であれば許容範囲(積極的に作れと言うのではない。何かしないと気が済まないというのなら、という話)。

・簡素な追悼施設(小さな石碑程度)も許容範囲(同前)。

・南浜地区の危険性と避難経路については、公園入り口に表示するに止める。(本当は、築山もない方がいい。)

・「がんばろう」看板の移設については、場所の問題も含めてゼロから再検討。

 公園は「整備」すればするほど異論を封殺し、寛容でない場所になっていく。各自が自分の自由な思いとやり方で、過去を考え、犠牲者を悼み、自然の脅威と偉大さとに思いを致し、なおかつ、後世に負担を残さないためには、出来る限り余計な手を加えないに限る。


「日本の男子には妙な習癖があって、不景気な考え方だ引っ込み思案だと言われると、随分もっともな意見を持っていてもすぐにへこたれ、明らかに無謀な積極政策を提案しても、大抵は威勢がいいの進取的だのと言って誉められる。」(柳田国男

「危険なのは右ではない、極左だ。」(毛沢東

少なくとも100年後に責任の持てる決定を!!