パーヴォ・ヤルヴィの時代



 昨年9月、NHK交響楽団の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィというエストニア人が就いた。この人については、1年ほど前に一度触れた。その時は、ドイツ・カンマーフィルの芸術監督としてであった。その後、就任前も含めて、テレビで10回ほど、ヤルヴィ指揮N響の演奏会を見る(聴く)機会があった。そして、本当にすばらしい音楽家だとつくづく思うようになった。いつも斜に構えている私としては珍しく、「N響にパーヴォの時代がやって来た」などというコピーを、空疎な看板としてではなく受け入れることが出来る。本当にそのとおりなのではないか、と思う。

 初めてこの人をテレビで見た時には、スキンヘッドでまったく無表情な、捕らえどころのない気味の悪い人物に見えた。ところが、演奏会録画の前後に放映される様々なシーンを見ていると、一見仏頂面でありながら、時に、少し表情がゆるんだ瞬間、なんとも言えない茶目っ気と愛敬とが感じられて、イメージが変わり始めた。話をしているのを聞いていても、まじめで温かみがあって、なんだかいい人だなぁ、と思う。見れば見るほど魅力的な人だ。

 指揮ぶりも非常に明瞭だ。もちろん、彼の棒で演奏したことのない私には、彼の棒が分かりやすいかどうかなんて分かるわけがない。指揮者がなぜ100人を超える楽器演奏の専門家に対して絶対的な権限を持ち、オーケストラのメンバーが指揮者の指示に従おうとするのかというと、おそらくそれは、バトンテクニックというような技術的なものよりも、オーケストラのメンバーが、指揮者の音楽的能力と人柄とを直感的に読み取った結果だろうと私は想像している。だから、あくまでも私の勝手な印象に過ぎないのは重々承知しているが、やはり彼の棒は明瞭だ。会場に行って、ずっと目をつむって聴いているわけではない以上、視覚的な要素というのも重要なので、変に格好付けたり、もったいぶったりしたところのないヤルヴィの指揮ぶりというのは好感度が高い。

 もちろん、最も大切なのは音楽だ。私がこんな一文を書く気になったのは、その点で文句なしにすばらしいからである。ブラームス交響曲第1番に感心した話は書いたとおり(→こちら)だが、そもそも、今日、これを書こうという気になったのは、年末に録画したきりになっていて最近ようやく見た、ヤルヴィ指揮の第九の演奏に対する感動による。10月に行われた主席指揮者就任記念演奏会における、マーラー「復活」は、俗臭が鼻につくことも多いこの曲(→こちら)を、本当に久しぶりで感動を持って聴くことが出来た演奏だった。R・シュトラウスも、バルトークも、ベルリオーズも、ショスタコーヴィチも、「快演」という言葉が正にふさわしい気持ちの良い演奏だった。

 このように演奏された作曲家の名前を並べてみると、節操がないと言いたくなるほどバラバラだ。思えば、彼が現在常任ポストを得ているオーケストラも、フランス、ドイツ、日本と多様である。こうなると、思い浮かぶのは器用貧乏という言葉で、作曲家の個性や地域性を平準化してしまい、特別よくはない代わりに悪くもない、全部ほどほど、という状態が想像されるのだが、なかなかどうして、そうではないのである。

 もちろん老大家の音楽ではないし、濃密とか重厚とか、アクが強いといった感じはしない。奇抜な解釈もなく、なんとも上品ですっきりとしていながらエネルギッシュで、決してつまらないということがない。これはもう、パーヴォ・ヤルヴィという人の、人間そのものの性質であり魅力であるに違いない。

 私が音楽というものに熱中し始めた1980年前後、N響は正に「サヴァリッシュ時代」だった。サヴァリッシュを始め、スウィトナー、シュタイン、ブロムシュテッドといったドイツ系の指揮者は好きだったが、その後登場してきたデュトワアシュケナージは性が合わなかった(ピアニスト・アシュケナージはすばらしい!)。そして久々に、私が大好きになれるような、そして一つの時代を作るような人が現れた。今年は一度、東京まで聴きに行ってみようかな。