「奔放」と言うに尽きる!

 昨晩は、ファビオ・ルイージ指揮デンマーク国立交響楽団の演奏会に行っていた。ファビオ・ルイージについては、以前、彼がN響を指揮した時の演奏について、少し書いたことがある(→こちら)。私よりも3歳年上なのだが、メトロポリタン歌劇場首席、ウィーン交響楽団首席、ドレスデン国立歌劇場音楽総監督など、驚くような経歴の持ち主で、3年あまり前のゲルギエフ(→その時の記事)やバレンボイム(→同じく)に匹敵する、仙台に来る音楽家としては最上級に属する人である。
 上にリンクを張った記事を読んでいただけると分かるが、彼の音楽を聴いたことが少ないということもあって、風貌と経歴とにはなんとなく心引かれつつ、「なるほどこれはすごい!」などと思ったことはない。ただ、なにしろ評判の高い人なので、一度ぜひ聴いてみたいと思い、発売初日に一番安いチケットを確保し、のこのこ出かけて行ったのである。
 プログラムは、ソレンセン「Evening Land」(日本初演)、ブルッフ・ヴァイオリン協奏曲第1番(独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー)、ベートーヴェン交響曲第7番、である。このプログラムを見た時、少しがっかりした。ベートーヴェンの7番は、名曲中の名曲であることは認めるが、構造的でリズムが激しく、しかも名曲でありすぎるがゆえに、誰にでも一定以上の演奏ができ、演奏者の個性(実力を含む)が出にくい曲なのだ。
 ところが、やはり聴いてみないと分からないものである。
 まず最初の驚きはブルッフだ。オーケストラが全力で激しく自己主張する。この協奏曲の主役は自分たちなのだ、と言わんばかりだ。あのおよそ自己主張という言葉から遠い風貌の指揮者が、これほど激しく全身でオーケストラと格闘する姿にも驚いた。それでいて、独奏者をないがしろにしているという感じでもない。もっとも、これは独奏者(ドイツ人と日本人の混血らしい)の実力もあってのことである。
 更なる驚きはベートーヴェンだ。指揮者がたっぷりとためを作って、すくい上げるように悠然と最初の和音を鳴らした時、これは私の趣味だな、と思ったのだが、65小節に及ぶ長い序奏を堂々と演奏した後、第1主題が登場すると、オーケストラは一転、超快速で疾走する。ルイージはせわしく実に細かに指示を出す。オーケストラが出す全ての音を自分がコントロールしているのだ、という意識が強く感じられる。すると、誰が演奏してもたいした違いはないと思っていたこの曲(←あくまでも他の曲との比較の問題)に、驚くほどの表情が浮かんでくる。「オーケストラをドライブする」「彫琢を施す」といった言葉が、いかにも似つかわしい。
 フォルティッシモの強烈な和音で第1楽章が終わると、次の瞬間に第2楽章の和音が鳴らされる。これも意表を突かれた。今まで、この曲は何度も何度もライブで聴いているが、こんなのはおそらく初めてだ。だが、第2楽章は、そのまま性急に進んだりはしない。第1楽章とのコントラストは鮮やかだ。第2楽章が終わったところで一度休憩。
 第3楽章も驚きの連続だ。オーケストラが前のめりに速くなりそうな箇所がたくさんあって、通常、指揮者は「走るな」と指示を出しそうなものだが、ルイージはけしかける。そして第4楽章。あまりにも意外なことがたくさん起きるので、第4楽章はむしろ遅めに進むのかと思っていたら、裏の裏をかいた形で超特急。それでいて随所に独特の表情をつけていくのは第1楽章と同じ。
 だが・・・、だが、ですよ。目を白黒させながらベートーヴェンを聴いた後、舞台袖からトロンボーン奏者が3人と、テューバ奏者が登場した時には、いくらデンマークといえども北欧ということで、アンコールに「フィンランディア」でも演奏するのかと思った。それにしてはトランペットが足りないかな(「フィンランディア」の編成を正確に憶えていない)、少なくとも大太鼓は必要なはずだから、それはないな、などとドキドキ、ワクワクしていたら、始まったのは、これこそ正真正銘のびっくり仰天、タンゴ調のポピュラー音楽であった。終演後の掲示によれば、ヤコブ・ゲーゼというデンマーク人作曲家によるタンゴ「ジェラシー」という曲だ。
 昨晩の演奏会を一言で言えば、「奔放」というに尽きる。「サーカスの快感」(→参考記事1同2)ではなく、「遊園地の面白さ」とでも言えばいいだろうか?あの小柄で、怜悧・冷静、無表情に見えるイタリア人から、こんな奔放、自由、それでいて繊細な音楽が生まれてくるというのに、私は驚嘆したのだ。
 演奏が終わった後、楽員たちが足を大きく踏みならして自分たちの身内ともいうべき指揮者に喝采を送っていた。楽員が指揮者に拍手を送ることは珍しいことではないけれど、これほど激しく、客席からの拍手を上回るほど、というのは珍しい。これは、楽員の正直な思いを表しているのではないだろうか?年から年中、各地で似たような曲を演奏し続けているであろうに、これほど手抜きなく、ルーティンの雰囲気を感じさせることもなく、まるで生涯に1度切りの演奏会であるかのように音楽作りをするというのは尊敬すべきことで、正に「プロフェッショナル」である。
 アンコール後も指揮者が何度か呼び出され、いよいよお開きとなる時、指揮者の指示ではなく、オーケストラがわずか1~2小節のファンファーレ風の和音を演奏し、また指揮者を喝采した。目にする機会のない、特殊な光景だったので、私はもしかしてファビオ・ルイージの誕生日なのかな?と思ったが、そうではないらしい。会場の照明が戻り、楽員が退場を始める際、楽員たちが抱き合ったり、握手をしたり、ずいぶん長い時間やっていた。日本演奏旅行の最終日だったからか、楽団の習慣なのか知らないが、そんなことも面白かった。