バレンボイムを「見に」行く



 昨日は、午後から音楽を聴きに仙台に行った。ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団である。昨年11月のゲルギエフミュンヘンフィルからわずか2ヶ月。仙台で、同じ年にこれだけ世界的な演奏家に接することが出来る年は記憶にない。ぜいたくだな、とは思ったが、私が思うに、バレンボイムという人は演奏家として世界のトップスリーに間違いなく入り、ゲルギエフ以上に尊敬に値する人なので、どうしても「見て」みたいと思い、発売と同時にB席のチケットを確保した。

 昨年のお正月に、義父から、お年玉というわけでもないだろうが、WOWOWで録画したベートーヴェン歌劇「フィデリオ」のDVDをもらった。2014年12月7日に、ミラノのスカラ座で行われたシーズンオープニングの公演で、大統領臨席、オープニングであるにもかかわらず、バレンボイムが芸術監督として立つ最後の指揮台ということだった。驚いたことに、オーケストラピットにバレンボイムが登場すると、演奏が始まる前なのに拍手だけでなく、盛大な「ブラボー!」の声が飛び交う。センテンスを叫んでいる人もいる。もちろん、それらの声は、実質的に7年間続いたスカラ座芸術監督としての仕事全体に対する賞賛であるに違いない。叫ばれていたセンテンスも、「7年間ご苦労様!」とか、「辞めないでください!」といったものであると想像される。指揮者としてもピアニストとしても超一流、イスラエルで戦後初めてワーグナーを演奏したとか、アラブ人とユダヤ人による合同のオーケストラを組織したとかいう社会的な活動も含めて、この人がどれだけ人々から評価され、その音楽が愛されているかを象徴する現象であるように思われた。

 今回のプログラムは、モーツアルトのピアノ協奏曲第22番(バレンボイムによる弾き振り)、ブルックナー交響曲第2番である。これまた仙台離れした渋いプログラムだ。今回の来日公演で、73歳のバレンボイムは、約3週間の間に13回の演奏会を行い(仙台が初日)、モーツァルトの20番以降、21番と25番を除く6曲のピアノ協奏曲と、ブルックナーの全交響曲を演奏する。驚異的な音楽的能力もさることながら、精神的にも肉体的にも想像を絶するタフネスぶりだ。

 ところが、昨年のゲルギエフ・辻井+ミュンヘンフィルのチケットが早々に完売した一方、バレンボイムは繰り返し繰り返し広告が新聞に載り、前日にも当日券情報が載っていたくらいだから、なかなかチケットが売れなかったようだ。いくらホールの収容人数が300ほど多いとは言え、ゲルギエフと値段も変わらないし、バレンボイムの方がキャリアとしては相当上だと思うのに、なぜそんなことになるのか、私にとっては不思議である。辻井伸行人気はあったにしても、ちょっと違いが大きすぎる。しかも、今回は企業の冠付きコンサートで、多くの招待券が発行されながら、招待客が来ないということがあったようで、2階の中央がほとんど空席になっているなど、あまりいい入りではなかった。

 演奏はたいへん立派なものだったと思う。「思う」と書いたのは、頭でそのように思ったほど、心が動かされなかったからである。なぜかはよく分からない。前夜、知人の家で酒を呑みすぎたのもよくなかった。

 モーツァルトは、立ったり座ったり、指揮をしたりピアノを弾いたり、せわしなく「音楽」するバレンボイムに、半ば圧倒されるような思いで聴いていた。才能というのは本当にすごい。だが、演奏自体は、我が家にあるバレンボイムクーベリックバイエルン放送響のCDに比べると完成度においてやや落ちると思われた。

 ブルックナーは、なかなかの熱演だった。我が家にある朝比奈隆+大阪フィルの演奏が72分を要しているのに対し、今日のバレンボイムはわずか52〜3分。チラシには「ノヴァーク版第2稿 1877年、キャラガン校訂版」の楽譜を使うと書いてあったので、朝比奈の使っているハース版と、版の違いによる部分も大きいかも知れないが、それだけではない。明らかに、バレンボイムブルックナーは勢いのある演奏だった。私としては、3年前の小泉和裕仙台フィル(→その時の記事)の方が、感動としては大きかった気がする。片方はさほど大きな期待を持たずに聴きに行き、片方は期待満々で聴きに行ったという違いはあるかも知れないが、ブルックナーは速いテンポになじまないようにも思われた。

 それでも、おそらく今日、私はバレンボイムという偉大な人物を「見に」行ったのだ。そして、本物のバレンボイムが、私の見ている前で「音楽」していた。ただそのことによって、私はそれなりに満足して帰って来た。

 ところで、バレンボイムは、1990年春にシカゴ交響楽団と仙台に来ていて、私はその時にも行った(ブラームス交響曲第2番、第4番)。地方都市・仙台も、30年以上住んでいると、それなりにいろいろな人の演奏に接することが出来るものである。だが、今までは、来仙する外来演奏家が多くなかったから、あまり取捨選択の苦労がなかった。ところが、今シーズン、ゲルギエフバレンボイムが来たみたいに、1年に二つ、或いはそれ以上のオーケストラ、或いは独奏者が来るにようになると、いくらビッグネームでも、都合の付く限りホイホイと全てに出掛けて行くわけには行かなくなり、選ぶ悩みが発生する。しかも、1年間の仙台の音楽スケジュールが始めから全て分かっているわけでもないから、その取捨選択はなおさら難しい。今回だって、ゲルギエフの切符を買った時には、まさかその二ヶ月後にバレンボイムが来るとは思っていなかったのだ。やはり何事もほどほどがいい、ということか・・・。東京に住んでいて、お金も時間も中途半端にある人というのは大変だろうなぁ。