若草色のショパン



 先週に続き、週末は雪であった。12〜3センチ積もった。この程度の雪なら、通行にもあまり支障はないが、太陽光発電機がストップしてしまうのはなんだかもったいない気がする。今日は朝からいい天気。それでも、屋根に積もった雪は容易に溶けない。太陽光発電機は、さきほどようやく運転を開始したが、作られる電気はごくわずかだ。こんなに明るいのに、と、少しいらいらする。日本海側なんて、太陽光発電機をつけても、冬はほとんど役に立たないんだろうなぁ。

 さて、一昨日、以前録画しておいたNHK交響楽団第1821回定期演奏会の録画の前半を、そして昨日は後半を見た。指揮はV・フェドセーエフ。この人については、昨年の夏にも少し触れた(→こちら)。

 前半は昨年のショパンコンクールの覇者、チェ・ソンジンを独奏者にしてのショパンのピアノ協奏曲第1番。まだ21歳の韓国人青年である。演奏前のインタビューを見ていても、とても上品で知的で、素直な感じの好青年である。「ショパンは天才ですが、私はただのピアニストです」という言葉に表れた謙虚さも好ましい。演奏は、その風貌通り、とても柔らかく繊細で、まるで若草色のショパンといった感じだ。彼がバッハやブラームスを弾いた時にどうなるのかは想像できないけれど、ショパンを弾く限りにおいて、私はけっこう好きだな。

 後半は、グラズノフハチャトゥリアンの舞曲とチャイコフスキーの序曲「1812年」。前回フェドセーエフに触れた時、1991年のモスクワ放送響との来日公演から、一部が放映された話を書いた。その時に演奏された白熱のレズギンカ舞曲も、今回のプログラムに入っている。30年を経たとは言え同じ指揮者、ロシアと日本のオーケストラで「レズギンカ舞曲」がどう違うか、興味津々で聴いた。冒頭を耳にした時には、さほど変わらないな、或いは、私の耳では聴き分けられるほどではないな、と思ったのだが、その後、どうしても同じとは言えないことが分かってきた。明らかにN響による演奏の方がつまらない。技術的には何の不足もないのだが、どうしても「ただ上手いだけ」にしか聞こえない。民族の持つ香りというか、土臭さというか、それは絶対にごまかしの利かないものなのだ、指揮者だけではどうしようもないのだ、ということを痛感した気がする。

 1821回定期が終わった後、今度は1993年のフェドセーエフ+モスクワ放送響の来日公演(東京)の様子が放映された。アンコールとして演奏されたチャイコフスキー「眠りの森の美女」のワルツと、グラズノフ「ライモンダ」のスペイン舞曲である。この時、彼らは仙台にも来ていて、私は行った。手元に残るメモを見てみると、仙台でも、アンコール曲は同じであった。オールチャイコフスキープログラム(イタリア奇想曲、ピアノ協奏曲、「悲愴」)で、その音の激しさと迫力とに心底感心したことは憶えているが、アンコールは記憶にない。だから今回、そうか、こんな演奏だったんだ、と懐かしいような思いで聴いた。

 不思議なことに、1993年の演奏会では、ティンパニ奏者のことがひどく印象に残った。鼻髭を生やした長髪の人で、顔つきにも特徴があるとともに、何だか顔を見ただけで明るく楽しい好人物であることが感じられたのである。当時、調べてみて、ワレーリー・ポリワノフという人だと分かった。いくらティンパニという目立つ役回りだとは言え、たった1回の演奏会で、オーケストラの一奏者のことが記憶に残るのは珍しい。

 今回の録画を見ていて、「あっ、ポリワノフだ!」と思った。久しく会っていない親友に会えたようで、妙に嬉しかった。