シュミードルがいない!

 水曜日、恒例となったトヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーンの演奏会に行った。この何年か、土曜日開催が続いていたので、仙台に対する何かしらの配慮があるのだろう、と思っていたところ、今年は平日だった。しかも、会場はイズミティという郊外だ。学校は距離こそ今までよりも会場に近いが、逆に、そのことによって車を使わないので、帰宅が大変。しかも翌朝家を出るのは早いし、例年この演奏会はサービス精神旺盛であるあまりプログラムが長いし、最悪でも最終のバス(県庁前21:32)には乗りたいなぁ・・・直前になると、そんなことがひどく気になった。雑念を以て音楽を聴きに行くのはよくない。
 今年のプログラムは、ベートーヴェン「コリオラン」序曲、ピアノ協奏曲第4番(独奏:金子三勇士)、モーツァルト交響曲第35番「ハフナー」、シューベルト交響曲第6番。モーツァルトがなくても、十分に一つの演奏会として成り立つ。
 「コリオラン」については、また別の機会に書く。ピアノ協奏曲はひどく興ざめだった。独奏者の技量の問題もあるが、やはり「大楽必易」(→こちら)の恐ろしさだと思った。単純素朴、一見平易な曲であるために、演奏者にしてみれば、どこをどうすれば立派な音楽になるのか、という困惑があるのではないか、と見えた。ただし、アンコールに「エリーゼのために」が演奏されたのだが、どうもこちらも感心しない。一般に、素人にでも弾ける簡単な曲ほど、プロが弾くと「違う!」とうならされるはずなのに、一向そんな気にならない。スムーズに曲が流れないのである。
 後半は本領発揮だった。本当に彼ら自身の音楽なのだ、と思う。だが、昨年までほど完璧とは思えなかった。このアンサンブルの美点は、なんと言っても、全てのプレイヤーがアンサンブルの中での自分の位置をわきまえ、他のメンバーと上手く音を響き合わせて、全体がまったく一個の楽器のように鳴る点にあったはずだ。ところが、今年はティンパニがひどく耳についた。音が大きすぎる。帰宅してから調べてみると、ティンパニ奏者は2002年から15年間変わっていない(ミヒャエル・ヴラダー)。ホールや座席の問題だろうか?
 実は、今年はこのアンサンブルに大きな変化があった。今まで、リーダーを務めてきたペーター・シュミードルの名前が消えたのだ。御年75歳。さすがに極東まで演奏旅行に来るのが厳しくなってきたのだろう、と想像される。だから、寂しくはあるが仕方がない。私が解せないのは、プログラムのどこでも、シュミードルの引退について触れられていないことだ。単なる一団員というならともかく、臨時編成とは言ってもアンサンブルの顔なのだから、せめてどこかで触れてあげてもいいのに・・・。で、ふと思うのは、ティンパニを中心とする音のバランスの崩れが、果たしてシュミードルと関係するかしないか、という問題である。おそらくほとんど自然に成り立つアンサンブルだし、見ていてもコンサートマスターのシュトイデが演奏上のリーダーシップを握っているのは明白だ。シュミードルはいたとしても、何を言うわけでもないだろう。だが、「重鎮」というのは得てして、うっとうしくも、無言で力を持つものである。彼がいたら、やっぱり今年のような変化は起こさなかったかもしれないな、などと想像してみる。真偽やいかに。
 例年楽しみにしているアンコールのウィーンの音楽は、「チクタクポルカ」。通俗と高雅とが絶妙なバランスで合致した、ある意味での文化的頂点を、彼らの体の芯の芯から流れ出てくる演奏で聴くのは本当に楽しい。会場は大いに盛り上がった。