ハーモニカの驚き



 先々週の土曜日、私は久しぶりで仙台フィル定期演奏会に足を運んだ。相当無理して時間を捻出してまでわざわざ出向いたお目当ては、和谷泰扶(わたにやすお)なるハーモニカ演奏者であった。

 ハーモニカなどという楽器は、魚類におけるかつてのイワシのような存在で(失礼!)、甚だ安価、簡便な大衆楽器であり、それ故、一昔前は小学生が楽器演奏を体験的に学ぶための教材として、それなりの地位を保っていたが、ごく普通の家庭が、ピアノでもバイオリンでも買える時代になると、急速に軽んじられるようになり、遂に小学校の教材としての地位さえ失って忘れ去られつつある、そういうシロモノである。にもかかわらず、この楽器にも根強いファンがいて、その演奏者にもある程度の数のプロが存在し、中でも、この和谷氏などは世界一とも二とも言われる名手である、ということは、何かの都合で知っていた。

 以前、授業の折に、諸君から「平居は何のスポーツが好きか」と問われて、私は「何でもいいから一流のプレーが好きだ」と答えたことがある。音楽(楽器)も同じ。ハーモニカという小さな大衆楽器が、超一流の手にかかるとどのような変貌を遂げるのか、果たして60名のオーケストラと対決し得るものなのか、それを実際に自分の目と耳で確かめたかったのである。

 う〜ん、月並みな表現だが、「たかがハーモニカ、されどハーモニカ」、その変幻自在なる演奏は正に驚くべきものであった。しかし、こうなると、私の受けた感動は、音楽に対するもの、というよりは、サーカスや手品を見た時の驚きと同質なのであって、そういうアクロバチックな要素に気を取られすぎて、「音楽」なんてどうでもいいような気になるのは、演奏者にとっても不幸なことのような気がする。あるいは、和谷氏の演奏会に5回くらい行くと、アクロバットに慣れて、「音楽」と向き合えるようになるのかなぁ?

 実は、音楽には肉体的要素と精神的な要素とがあって、私達が「音楽は素晴らしい!」と言う場合、何を以てそのように評価するかというのは、なかなかに難しい哲学的問題なのである。