署名についての雑感



 今日は御用納め。ちゃんと仕事に行っていた。最後の最後、勤務時間も終わって退勤間際の仕事は、本務ではない「署名探し」であった。教職員組合から毎月毎月たくさんの署名が届く。一度、年に何種類来るのか調べてみようと思いながら、いつの間にか忘れて分からなくなっている。これくらいたくさん来ると、一つ一つの署名の価値が軽くなる。しかも、一人一人にお願いして回るなんて出来ないので、たいていは回覧扱いにしてしまう。すると、誰かの机の上で紙に埋もれて停滞する。それを探し出さなければならない。結構おっくうだ。

 今日探した署名は、「戦争法の廃止を求める統一署名」(呼びかけ:戦争させない・9条壊すな!総掛かり行動実行委員会。扱いは全日本教職員組合・教組共闘連絡会・全国高校組織懇談会)というものだ。私が、署名を回すのも、まして誰かの机の上からそれを発掘するのも面倒くさい、と感じる典型的な署名である。

 私が主旨に賛同しない、というわけではない。新安全保障法が戦争を誘発するか抑止するかはともかくとして、決定のプロセスや憲法との関係には問題がありすぎる。このブログでも、それらの点については何回か書いたことがある(例えば→こちら)。しかし、である。その法律を廃止させるために、署名という手段はあまりにも愚かだ。聞く所によれば、目標は2000万筆だそうで、これは昨年の衆院選比例区自民党が獲得した票数(約1766万)を上回り、小選挙区での票数(約2546万)に迫る。だが、2000万集まろうが、5000万集まろうが、選挙で勝った議員達が作った法律が署名によって廃止されたりするわけがない。次の選挙で、この法律の制定に賛成した議員を落とし、廃止を主張する議員を誕生させるしか、方法はないのである。

 もちろん、そういうことを言えば、呼びかけ人は、この署名で法律の廃止が実現するわけではないのは分かっている、ただ、署名を集めること自体がこの法律に反対する人を増やす運動になるのだ、みんなに問題意識を持ってもらうために行うのだ、それが次の選挙に繋がるのだ、と言うに違いない。だが、そのためにチラシを配るのと署名を呼びかけるのとでは、署名の方がより効果的と言えるのかどうか・・・?手間と効果のバランスで、私は懐疑的だ。

 私はかつて、朝市センター保育園の存続に関する署名集めに多少のエネルギーを費やしたことがある。その時にこのブログにも書いたことだが(→こちら)、署名に取り組む価値とやり甲斐は、次の2点によって生じている。

・選挙で争点になり得ない。

・組織が小さく、様々な行動の因果関係が見えやすい。

 そして今回の「戦争法」は、それとまったく逆である。明らかに選挙で問うべき政治的に大きな争点であり、国という巨大な組織が舞台だ。どうしても、頑張れば頑張るほど、署名の無力を実感することにしかならない。どのような戦術を使うかは問題の性質による。そして、呼びかけ人が違うから仕方がないとは言え、年に数十もの署名が求められるようになると、人はその内容をまじめに考えなくなる。何かをしなければ→何をしようか→とりあえず署名だ、という思考パターンも一考の必要がある。最近スポットライトを浴びることの多い若者グループ・Seald’sの人たちなら、署名についてどう考えるかな?