今時「大東亜共栄圏」?!



 今年も今日を入れてあと3日。お年玉をもらえるわけでもないので、「お正月!」などと浮かれる気にはならないが、まぁ、仕事が休みだというのはいい。このブログも、今年はおそらく今日が最後。最後に景気のいい、明るい話でも書ければいいが、残念ながらそうはいかない。

 今朝の「石巻かほく」というローカル紙第1面、「つつじ野」という素人コラムには、管内の某高校長Sさんによる「飲水思源の思想」という文章が載った。一読して、日本語も内容もひどすぎる、と思った。悪いのはSさんだけではない。それに適切な手直しを求めなかった編集者もである。

 日本が植民地化していた時代の台湾の話で、八田與一という日本人が作った烏山頭ダムを、台湾振興に功あった偉大な事業として顕彰するという内容である。

 まずは日本語の問題。( )は特記したものを除いて原注である。二箇所だけ例を挙げる。

「(読者に学んで欲しい歴史的事実として=平居注)1人の日本人技師(土木技師)の他国で行った社会貢献(国際貢献)が、今回の震災への大きな“感謝がもたらした善意”があります。」

「そ(震災で台湾から届いたアメリカとほぼ同額の義援金=平居注)の背景には、台湾に身を捧げた(大きな貢献による)日本人技師、八田與一(はった・よいち、1886〜1942年)の存在です。台湾の人々は決して、八田の貢献に対し忘れずに感謝してくれていました。」

 わざわざ書く必要もないだろうが、まず、( )による補足が多すぎる。八田についての解説以外は本文化することが可能か、必要のない注である。そして何より、主語と述語の関係がメチャクチャ(というより述語の消滅)、陳述の副詞の呼応関係が不明瞭といった、極めて初歩的な問題を含む。このような日本語が、いくら素人コラムとは言え、掲載の段階で修正を受けないのは、日本語の乱れを生むのでよくない。

 しかし、更に重要なのは、歴史認識である。

 日本の50年にわたる台湾統治を、Sさんは「アジアの近代化を進め、互いに利益を得、欧米に対抗できるアジアにすることを大きな目標とし」たものだと言い、産業もなく大変貧しい島に過ぎなかった台湾を、明治以降に蓄積した技術によって「産業を持つ島へと転換」させようとした、と書く。そして、それによって「さまざまなインフラ(社会基盤)整備が行われ」、八田のダム事業はその中でも「特に偉大な成果」だと続く。大東亜共栄圏思想そのものである。びっくり!!

 中国や韓国との軋轢ばかりが問題となるが、台湾をも日本は植民地化していた。1895年から1945年まで、Sさんも言うとおり50年間である。韓国や中国と同様、皇民化教育を推し進め、日本の植民地政策に反抗する人々は容赦なく弾圧した。霧社事件は特に有名なもののひとつである。確かに、インフラの整備も進んだし、本当に台湾の人々のためになった事業もあって、八田のダム工事などは「偉大」と形容してもいいものなのかも知れない。そのような「功」が存在したことは認める。だが、それは部分的なことであり、決してSさんが言うように、台湾を発展させ、互いに利益を得ながら、欧米と対抗するなどというものではなかった。日本がアジアの覇者となり、繁栄するための手段に過ぎなかったはずである。

 にもかかわらず、戦後、そして現在も、日本と韓国・中国との間には深刻な歴史認識問題が存在し、昨日韓国との間で「解決」(←何が「解決」なものか。殺人犯を逮捕したところで、殺された人が生き返るわけではないのと同様、従軍慰安婦が実際に存在したとしたら「解決」などあり得ない。ただの政治的妥協である)した従軍慰安婦問題など、戦争を巡る様々なトラブルが絶えないのに対し、台湾との間で軋轢が云々されないのはなぜだろうか。それには、明瞭な二つの理由がある。

 一つは、現在、日本と台湾=中華民国との間に国交がないということである。正式な外交ルートが存在しないのだ。これは、1972年に中華人民共和国との国交を回復させる際、「一つの中国」という中国の立場を尊重して、中華民国と断交したからである。正式な外交ができなければ、歴史認識問題も話題になりようがない。

 もう一つ、更に重要なのは、台湾が国民党政権だからである。蒋介石率いる国民党は、辛亥革命後、日中戦争の終了までは中国大陸における多数勢力だったが、毛沢東率いる共産党と政権抗争(内戦)を行った結果、負けて台湾に活路を求めた。資本主義政党であり、その点では、戦中・戦後を通して、日本と思想的に近い。だから、日中戦争期においても、共同して抗戦を呼び掛ける共産党に対し、「安内攘外(国内問題を解決させてから外国と戦う=共産党の壊滅が優先)」を標榜して、日本に妥協的な態度をとり続けた。その国民党は、台湾を支配して不満ながら安定を得た後も、大陸奪還に意欲を失っていなかったからかどうかは知らないが、日本に矛先を転ずることはしなかった。アジア民衆法廷準備会編『写真図説 日本の侵略』(大月書店、1992年)にも、1952年、日本が台湾と国交を結んだ当時のこととして、「当時の台湾の政府には、植民地時代に台湾の人々が受けた損失などに配慮する気はなく、一方、戦争などで被害を受けた台湾の人々は、日本の侵略戦争加担の罪を問われるのを恐れて、口をつぐんでいた。台湾での動きがないのをよいことに、日本政府もまた知らぬふりをつづけていた。」とある、編者の名前はいかにも怪しげで、ネトウヨの人々などは、むしろ引用する私を攻撃の対象にするかも知れないが、一連の政治事情から見れば、どうしてもこれが事実だろう。

 ともかく、目的が何で、いかなる思想・政策を持っているにせよ、自分たちの土地に入り込んできて支配する人を歓迎する人など絶対にいないはずで、そのような点からしても、日本の台湾支配が、Sさんの言うようなものでないことは間違いがない。いくら限られた字数のエッセイであり、Sさんが教育者であることを考慮しなかったとしても、許されないことなのではないだろうか?そう断言できるほど明瞭に問題のある文章だと思った。

 よい新年をお迎えください。