南浜地区復興祈念公園迷走曲(2)



 協議会は10月と11月に1回ずつ開かれたが、残念ながら私は出席できなかった。ところが、市役所で開かれるかしこまった会議では、なかなかまとまった議論ができないと、今月に入ってから任意の勉強会が開かれるようになり、私はそこから参加した。任意の勉強会とは言っても、市の職員も、事前の調査を請け負っている土木会社の職員も出席している「私的」とは言い難い性質のものである。協議会のメンバーのうち出席者は、各会とも10人あまりで、全構成員の半分といったところだ。過去3回は9日、18日、20日、19時から22時過ぎまで続いた。

 私はもともとこの協議会には期待していなかった。何しろ、以前書いたとおり(→こちら)、公園を考える市民フォーラムに出れば、大枠についての議論はもとより、質問さえも許されない。翼賛的に公園の計画を支持した上で、あくまでもその計画を積極的に進める方向に向かって、些細な意見を述べることが許されるに過ぎないことが、びんびんと伝わってきたからだ。ただ、それでも、何かしらの抵抗はしないと「自然」と「後世」に対して申し訳が立たない、自己満足というか、私はダメだって言い、行動したからね・・・ということを、ツケを引き受ける後世に対して主張し、自分を免罪したい、という一心である。

 ところが、勉強会に出てみると、どうも風向きが違う。私がほとんど365日感じている、自分が真面目に考えれば考えるほど世の中とは逆になる、という孤立感があまりない。え?案外みんな疑問を感じてるんじゃん、南浜でこれ以上土木工事をせずに、出来るだけ現状を保存したいと思っている人って私だけじゃないんだな、という気がした。私以外にも、何もしないのが一番いい、とはっきり言っている人もいる。

 勉強会が2回行われたところで、現地調査があった。2時間かけて、湿地や植生上特徴のある所などを歩いて回った。公園になる予定の30ヘクタールくらいの土地は、その半分以上が茅原になっている。海抜ゼロメートル地帯だということもあって、あちらこちらに湿地がある。12月も下旬ということで、さすがに生き物の影は薄かったが、それでも、自然の豊かさはひしひしと感じられた。協議会のメンバー以外も含めて、20人ほどの参加者から、「きれいだねー」「いい所だなぁ」「これ、このまま残したいよねぇ」という声が繰り返し繰り返し漏れた。

 勉強会の詳細は、公表してはいけないというよりも、まだまだそれぞれが思いを語ったり、市や業者に質問をしている段階なので、ここに書きようなどない。2回の勉強会を受けて、3回目の勉強会では、各自が応募の際に市に提出した作文など、自分の考えを書いたペーパーを持ち寄ることになってたので、私は昨日このブログで公にした作文の裏に、次のとおりのことを印刷して参加者に配った。

「 南浜地区復興祈念公園について

*基本理念:回復した自然の豊かさを享受するとともに、後世に負の遺産(借金、維持管理の労力、余計な二酸化炭素)を残さない。

*12月18日勉強会でA氏提示の四視点などについて

1)地勢と生態系の尊重

あまりにも当然のことである。人間は自然に絶対に勝てない。力尽くで自然をねじ伏せ、本来の地勢や生態系に反することをすれば、将来、間違いなくそのひずみが表れ、再び人間にダメージを与える。

現在、南浜町では本当に豊かな自然が回復している。人間の生存のためならまだしも、それ以外の事情で自然を破壊するのは、動植物に対する侵略行為以外の何物でもない。

2)追悼

南浜町で身内を亡くされた方は、公的な追悼施設の建設を望んでいるだろうか?

自宅のあった場所にたたずみ、回想して静かに冥福を祈りたいというのが真情ではないか?

現在の第三者による「追悼」「鎮魂」という声を、私は単なる「社会現象」と見ている。

戦争のような社会的犯罪による犠牲者と、津波による犠牲者は性質が違う。たくさん亡くなったから公によって追悼施設を、という考え方をする必要はない。

南浜町の追悼の場としてふさわしいのは、それを一望する日和山である。

3)避難防災

基本的に立ち入ることが危険なエリアとし、立ち入りは自己責任と確認する。

本来人間が住んではならない場所に町を作ってしまったために、津波で多くの犠牲者を出した、という教訓は分かるようにすべきだ。

4)お金

少子化の時代にあって、借金を増やすことは後世に重い負担となる。経済成長など実現するわけがない。従って、費用は限りなくゼロに近づけるべきである。

5)全県的な視点

特殊性を突き詰めた所に普遍性が表れるというのは、文学や芸術の常識である。他地区のことを意識しなくても、南浜町の地勢と歴史を徹底的に尊重した公園作りをすれば、自ずから県の被災地を代表し、象徴するものになる。

* どのような復興祈念公園にすべきか?

 築山を始め、基本的には何も作らず、自然公園とする。植生もできる限り人為によるべきでない。ゴミを撤去する必要はあるが、残った土台などは撤去せずそのままにする。南浜町を散策するための遊歩道(木道?)は整備する。四阿くらいはあってもよい。震災前の住所表示を刻んだ看板(石碑?)を所々に設置する。自然に親しむことを利用方法の基本とすべきであるが、旧矢本海浜緑地のような公園施設は限られた面積であれば許容範囲。「がんばろう石巻」看板程度の追悼施設も許容範囲だが、上述の通り、南浜町の追悼施設は日和山に作った方がよい(小さなモニュメント程度)。旧門脇小学校校庭をスポーツ広場や公園施設にするのもよい。」

 特別に私の意見が議論の俎上に載ることはなかったが、冒頭にも書いたとおり、多くの人が県や市の構想を好意的に受け止めてはいないので、どうしても議論は、各論ではなくて総論に向かってしまう。つまり、細部をどうデザインするかではなく、そもそもこんな公園いるの?公園の根幹として県が構想しているという築山(緊急時避難施設として公園の南東部に計画されている高さ10mほどの人口丘)の存在や位置についての異論は特に多い。(続く)