南浜地区復興祈念公園迷走曲(4)



 年末、仕事納めの翌日だっただろうか。市から1月の様々なスケジュールを知らせる文書類が届いた。ひとつは、協議会の事務局長である市の復興事業部基盤整備課長による、第3回協議会と、それに先立つ部会(分科会)の案内である。もうひとつは、がんばろう石巻の会という有志による報告会なるものの案内である。後者についての話はいずれすることにして、今回は市からの文書についてだけ触れる。

 一見して、市が釘を刺そうとしていることがよく分かった。というのも、第3回協議会をいつ開くかということの前に、二つの確認がなされていたからである。その部分だけ写すと次のようである。


(1)今後の協議の進め方

・計画検討協議会設置要綱に示される「公園の利活用を踏まえた整備内容」について特に議論を深めていただく(計画検討協議会の役割参照)。

(2)検討にあたっての基本条件

・平成27年8月に策定された基本計画に則る。


 つまり、基本計画は既に決まっているので、その部分について協議会が口を挟むのは越権である、あくまでも決定した基本計画の範囲で、利活用のレベルから多少の発言を許す、ということだというのがよく読み取れる。参照すべき「計画検討協議会の役割」とは、おそらく、設置要綱の第2条を指すのだろう。そこには次のようにある。


(1)公園の利活用を含めた整備内容の検討

(2)管理運営組織のあり方の検討

(3)その他必要な事項


 なにしろ(3)があるので、何でもありのようにも思えるが、今回の文書によれば、大切なのは(1)だけであり、おそらく(3)というのは「その他(市が)必要な(と認めた)事項」という意味であって、構成員が勝手にその必要性を判断してはいけないということなのだな、と私は思った。

 3日間に分けて日程設定されている部会のうち、私は2回目すなわち1月15日の部会に指定されていたが、その日は不都合なので、7日の1回目の部会に変えて欲しいと連絡したところ、構わないということだったので、7日17〜19時に市役所で行われた部会に出席した。

 第1部会の主催者は、K副会長である。会の冒頭、Kさんから、次のような話があった。

「一昨日、会長副会長による準備のための会議を行った。その際、12月に行われた勉強会で、根底から違う話をしようという人がいたのは問題だ、この協議会は国県市が決めた基本計画の範囲内で、その利活用の方法を検討する会であるということを確認しなければならない、という話になった。そのことを、構成員の皆さんにもよく分かっていていただきたい。」

 年末に市から届いた文書から読み取れたことと同じである。思えば、協議会には個人で応募した私のような人間13名の他に、団体推薦の9名、そして事務局推薦という人が2名入っている。団体とは言っても、町内会や青年会議所のような公的性格の強いものから、ボランティア団体、更には個人に限りなく近い団体などいろいろだ。私は第1回協議会を欠席したので、プロセスはよく分からないが、これらの中から、会長1名と副会長2名が選ばれたのだが、会長と1名の副会長には事務局推薦の2名がなった。

 これは実に胡散臭い話ではないだろうか。事務局というのは市の基盤整備課である。そこが推薦した2名が協議会に入り、正副会長を務めるというのは、この協議会、いや、公園計画は絶対に市がコントロールするのだ、勝手なことは言わせないのだ、という強い意思を感じさせる。権力というのは本当に恐ろしいものである。協議会はもともと、昨年の3月に開かれた市民フォーラムで私が感じたように、各論の部分で若干の意見を聞くためにのみ設置されたのだ。

 では、総論の部分について、市民が異議を唱える場面が今までにあったかと言えば、私が探した範囲ではどうしても見つけることが出来なかった。防潮堤や高盛り道路と同じように、最初から「作ります」と公言され、委嘱された委員によって青写真が描かれ、それらが全て決定事項となって、最後の各論で市民の意見を少しだけ聞いてやろう、となっている。いや、パブリックコメントというのがあったではないか、という人もいるかも知れない。だが、それは公園を作るかどうかというレベルのものではないし、真面目に検討された感じもせず、そもそも、パブリックコメントという一方的なお手紙のようなもので、議論をするということ自体が間違っている。民主的な手続きを踏んだという言い訳の材料にしかなっていない。

 おそらく、お金を使うというのが役所における「仕事をする」であり、従って、使うお金が大きければ大きいほど立派な仕事として幅を利かすという価値観があり、そのためには土木工事が手っ取り早く、また、何かを作っていれば人々も後先考えず何となく納得する・・・こういう思考で、最初から公園計画は決定事項としてスタートした。少なくとも私はそう見ている。それが事実だとすれば、なんとも情けなく、貧しい。

 とは言え、少なくとも、現在議論は続いている。計画を撤回させることは出来なくとも、最大限出来ることは何か、負の遺産を最少にするために何が出来るか、という発想で動かなければ敵前逃亡であり、敵を利するだけになってしまう。ゼロでも百でもない状態で耐え忍んでいくのは、口で言うよりもはるかに大変だ。(続く)