雪の少ない蔵王、またはS先生の詩



 昨日から二日間、頼まれ生徒引率で、仙台一高井戸沢小屋に行っていた。数日前の天気予報では、この3連休、後ろに行くほど天候は悪いということだったが、直前の天気予報ではずいぶん変化して、そこそこの天候が予想されていた。実際行ってみると、2日間とも雪が降り続いて風も吹いてはいたものの、この季節の蔵王としては穏やかで、今日は時に薄日が差した。もっとも、一昨年来、蔵王は火山活動が多少活発化している。一時ほどではないが、先月には久々火山性微動など観測されたものだから、出来るだけ火口に近付かない、ということで、刈田岳アタックはナシ。単純に井戸沢小屋に泊まりに行く、というだけのものになった。ま、アタックしたとしても、やはり風雪が強くて視界がなく、どうせ頂上までは行き着けなかったと思うけど・・・。

 今冬は、12月の平均気温が仙台で平年より1.4度も高かったとか。積雪もゼロ記録を更新中だ。各地のスキー場で雪不足が深刻だとか、札幌や横手では雪祭りかまくらといったイベントの準備が出来ず、雪集め(輸送)が始まったというニュースもあった。記録的少雪なのである。果たして、蔵王も予想通り。標高750mの滝見台までは地肌が見えている状態。スキー場の上部から森に入れば、例年なら雪の下に隠れている藪が行く手を阻み、歩きにくいことこの上ない。井戸沢小屋は、今の季節、例年なら1階の窓がほとんど全て雪に埋もれているが、今年はかろうじて窓枠の下まで。入り口を掘り出すのにも手間はかからなかった。

 それでも、もちろん、夏道などはどこにあるか分からないから、純粋に地図とコンパスでの山歩きだし、風景も一変していて、現役の生徒達には新鮮な体験だったようだ。よかった、よかった。

 話は変わる。

 昨年9月の半ば過ぎ、私は石巻駅で仙台行きの仙石東北ラインに乗り、発車を待っていた。すると、旧知のS先生がやって来た。私が立ち上がってご挨拶すると、先生は私の向かいの席に座られた。前々任校の山岳部顧問の大先輩である。80歳くらいだろう。OB会の新年会では何度かお会いしたことがあったが、勤務していた時期が重なっていたりはしない。

 結局、仙台までお話ししながら過ごしたのだが、その際、蔵書の処分ということが話題になった。先生は最近引っ越しをされたが、元の家に、大量の蔵書があって処分に困っているのだという。S先生の専門は数学なので、私とは正反対(?)なのだが、何しろ山岳部元顧問である。そこで私は、「古いガイドブックや地図があったら、私がお預かりしますよ」と言った。この場合の「預かる」は、もちろん「いただきたい」の婉曲表現だ。以前から何度か書いているとおり、どんな情報でも、時間が経てば史料に変わる。昔のガイドブックというのはいろいろな発見があって興味深いのである。

 S先生は「よしよし、見ておこう」みたいなことをおっしゃったが、私としては何の期待があったわけでもない。ところが、今年の新年会に、S先生は本の入った重い袋をぶら下げてお見えになった。「平居先生、持って来たよ。見てみて、先生の役に立つんだったら嬉しいし、役に立たないと思ったら捨ててくれればいいから・・・」とおっしゃる。私は感激して、その袋をいただいて帰った。

 家に帰って袋を開け、品定めをした際、最初に「捨てる」に分類した本の1冊に、『カラー 日本の山々』(山と渓谷社、1966年)というものがあった。日本国内の約90の山について写真1枚と解説1頁という本で、時代情報としての価値が著しく低いと思われた。その後、要らないものばかりひもで縛ろうとしたところ、その本の最後のページが折れ曲がっている。直そうとした時、何かが書かれていることに気が付いた。裏表紙を開いてよく見ると、一見汚れのように見えたのは青いクレヨン書きの山の絵(描かれた稜線の右端はトムラウシか?)で、それを背景に、黒の万年筆でS先生のものと思しき詩が書いてあった。(実際には、行頭に不規則な段差が付いている)

「山を想いつつ、

山の中を歩くこと、

ただ歩くことに意義がある。

苦しい、最後の登りを楽しもうと、

古い友と共に、ただだまって、登りつづけたトムラウシを想う。

山は美しいな。

静かだな。

恐ろしいな。

あたたかいな。

そして、厳しい。

けれども、愛はある。

自然という。

’66.12.5」

 決していい詩だとは思わないが、若き日の先生のロマンチシズムのようなものが生々しく感じられる。私はこの本を捨てられなくなってしまったのである。う〜ん、困った。