週末は、本当に久しぶりで仙台一高・井戸沢小屋に行っていた。2020年2月8~9日に行ったきり、コロナ問題の勃発と、石油ケチケチ生活とによって、行くに行けない状態になっていたのである。
その間に、山小屋の維持管理についての様々な議論や作業があったが、ほとんど傍観者のような態度を取ってきた。今回、「薪バイ(「薪アルバイト」の略と思われる。エコーライン脇から山小屋に冬季用の薪を荷下ろしする作業のこと)するぞ」という声が聞こえてきてから、今後、また冬に山小屋を使わせてもらう機会はあるだろうし、この2年間新年会さえ開かれなかった都合、すっかり会う機会を失ってしまった人達に会いたいという気持ちもあって、いち早く参加の意思を表明していた。石油ケチケチ人間の私は、やむを得ず、仙台市内のM君宅までだけ自分の車で行き、その後はM君の車(4人乗車)で連れて行ってもらった。
集まったのは、横浜から仙台までに住む老若男女13名。土曜日はまずまずの天気に恵まれ、目的通りの労働に汗を流した。山麓の牧場主に届けてもらったのは、ほとんどが切ったばかりの楢の木。50㎝くらいの長さに切ってはあるものの、未乾燥の広葉樹は猛烈に重い。それを20㎏分くらい背負子で背負いながら、救助用のスノーボートにもたくさん積み(150㎏以上?)、ロープで引いたり舵を切ったりしながら、雪原を引きずり下ろす。非常に腹の減る力仕事だが、仲間と力を合わせてということもあって、気持ちのいい汗がかける。4回運んだ。
夜は大宴会。そして昨日は、午前中いっぱい、前日同様「薪バイ」に汗を流す予定だったが、生憎の雨降り。仕方がないので、「薪バイ」はあきらめて、下山することにした。
ところが、本来、この日は午後にならないと下山が「できない」予定だった。私たちの労働ノルマによってではない。この日は「日本の蔵王 ヒルクライム・エコ 2022」というイベントの開催日で、12:30までエコーラインの宮城県側は一般車両通行禁止なのである。
「ヒルクライム・エコ」とは、宮城県側の蔵王山麓・大鳥居(標高382m)から刈田岳山頂(1716m)まで18.7㎞を、自転車で上るレースである。たいへん不思議なことに、このレースの歴史をまとめたサイトは存在しないようで、ネットで見付けられる年度毎の要項や言及記事でたどるしかないのだが、2010年に始まったもののようである。途中、東日本大震災(2011年)、積雪(2018年)、コロナウイルス(2020、21年)と4回中止になっているから、今年は3年ぶり9回目ということになる。ただし、どこにも「第9回」とは書かれていない。
私はこのレースのことを、報道等ではなく、第1回大会に参加した友人から聞いて知った。その時驚愕したのは、優勝タイムが1時間をギリギリ超えた程度の時間だったということだ(正確には1時間1分19秒)。舗装してあるとは言え、標高差1334m、最大斜度12%(←‰ではない。念のため)、平均斜度7.1%、走行距離18.7㎞という過酷な山岳道路である。ちなみに、同区間の路線バスの所要時間は45分である。私が車を運転しても、30分では絶対に走れないと思う。記録はその後更新され、多分、今大会までの最高記録は2016年大会の56分11秒である。正に化け物だ。
ともかく、エコーラインは絶対に通らせてもらえないらしかった。かと言って、山小屋でグダグダしているには長すぎる。そこで、考えたのは、井戸沢小屋入り口の駐車スペースは、自転車レースのコースになっているハイラインへの分岐までわずか100mか150mの所である、何とかそれだけの距離を通らせてもらえるよう交渉し、山形側に下山する、というものであった。幸い、Kさんによるコース監視員への交渉は上手くいった。10時過ぎ、自転車(この時間だと最後尾に近いので、ヨタヨタで数も多くない。トップは8:20頃通過のはず=見てみたかったなぁ。今年の優勝タイムは59分55秒33だったらしい)の途切れた隙を狙って、私たちは山形県側へ脱出、蔵王温泉経由で仙台に戻った。
土曜日、半日精一杯頑張ったとは言え、エコーライン際にはまだまだ薪の山が残っている。次は7月にでも、という話になった。雪は溶け、「そり作戦」は使えない。背負子でひたすら「ボッカ」するしかないが、仲間との作業と作業後のビールを当てにして、また行くかな、と思っているところ。