山小屋で「伯楽星」

 前回書いてから、ずいぶん長い間サボっていたと思いつつ、久しぶりで自分のページを開いてみたら、まだ1週間しか経っていない。あ、そんなもんなんだ、と少し意外だった。
 1月1日、年賀状で、春に拙著が刊行されるという予告編を書いた。その後、1月12日に東京からわざわざ編集者が石巻に来てくれて、まるまる一日、初校を前にしながら、内容やら体裁について意見交換をした。その後、早速校正作業に取りかかったのだが、これが大変!注に引いた出典を確認しながら作業していたところ、内容的に怪しい、もしくは資料によって異同が大きく、事実の確定について不安なところが何ヶ所か見つかり、そのたびに何日もかけて調べ直したり、書き直したりという作業をする羽目になった。「校正」だからといって、原稿とゲラの字句の異同を直すだけというわけにはどうしてもいかない。一応、だいたい言われていた期限を守って昨日発送。一息ついた。
 ところが、発送直前の2月9~10日は、呑気にも山へ行っていた。あまりそんな気分でもなかったのだが、1ヶ月以上前に、この日程なら大丈夫だろうと約束してしまっていたこともあって、あえて行ったのである。
 1月3日、前々任校の山岳部の新年会があって、その場で、いま宮城県で一番うまい酒は何か、みたいな話になった。さほど真剣な議論だったわけでもなく、酒席での戯れ言に近かったのだが、なんとなく「伯楽星」だという話になった。新澤醸造店という会社が出している酒である。これは大崎市三本木にある会社だが、蔵だけは川崎町という所に移転してしまっている。確かに、「日高見」(石巻)びいきの私(→こちら。ただし、この記事にある宮城のうまい酒ベストスリーは、今から思うとデタラメです)でも、「伯楽星」はうまいと思うのである。
 うまい酒は酒がうまい環境で飲みたいものだ、最高の環境で「伯楽星」を飲もう、という話になり、それは学校の山小屋だろう、と話は進んだ。厳冬の蔵王で、ストーブにがんがん薪を燃やし、きんきんに冷えたビールと「伯楽星」を飲む。2月9~10日の山とは、なんのことはない、そんな酒飲みぐうたらツアーである。参加者は4人。
 数日前から、史上最強という耳にしただけでも恐ろしいような寒波の襲来が予想されていた。仙台でも氷点下5度か6度になるという。標高1470mの山小屋付近では、氷点下15度でも全然おかしくない。天気も曇りの予報だ。石巻を出る時に路面が白いようだと、さすがに気分が萎えるなぁ、と憂鬱だった。
 ところが、前日になると、北海道は場所によって氷点下30度、東京は多めの積雪が予想されているにもかかわらず、仙台はその谷間にあって、気温こそ低めだが、ずいぶん落ち着いた天気に思えてきた。私は、石巻駅前にある「四釜商店」というマニアックな酒屋で入手した特別純米酒「伯楽星」の一升瓶をリュックに入れて、仲間を拾いながら山へ向かったのである。
 やはり行ってみないと分からないものである。太陽こそ出ていないものの、雲は高く、何よりも風がない。蔵王というのは恐ろしい山で、冬場の風の強さは天下一品。1~2月、私は相当な回数足を運んでいるが、刈田岳(1758m)の頂上に立てた記憶なんてほとんどない。たとえエコーラインがほどほどな天気だったとしても、ハイラインの入り口から、標高で10m上がる毎に加速度的に風速が強まる。あと数十mで間違いなく頂上だと思いつつ、ホワイトアウトの中で退却という経験も多い。ところが、9日は奇跡の無風だったのである。視界もよく、屏風岳は見えていなかったが、杉が峰くらいまでは見えた。
 もっとも、背中の酒が気になって仕方のない私たちは、頂上に行く気などさらさらなく、刈田峠の手前から一気に井戸沢小屋を目指した。ストーブに着火して、酒盛りが始まったのは、まだ2時半になるかならないかである。小屋に残置してあったビールが、実にほどよくシャーベット化している。シャーベットビールがどれほどうまいか。飲んだことのある人にしか分からない。
 その後は、私が持参した「伯楽星」に、S君が持参した「大沼屋」(村田町大沼酒造。「乾坤一」の亜種?)、「勝山 縁」(仙台市勝山酒造)、それに自分たちで作ったキムチ鍋で、夜10時頃まで(多分。記憶不確か)ご機嫌で酒を飲んだのである。最高の贅沢!
 10日は一転、、やや強い風が吹いていたが、晴れて青空の見えるいい天気。私たちは下山するだけで、しかも樹林帯なので、強風もさほど問題ではない。飲み過ぎによる体調不良は若干あったけれども、昔の聖山平のリフトの所を通って、11時過ぎには澄川スキー場に下山した。ある意味で理想の好天に恵まれたいい2日間だった。
 ところで、下山後、遠刈田温泉で風呂に入り、「新楽」で鴨そばを食べながら、ふとこんな話になった。
 「いやぁ、楽しかった。それにしても、この時期に現役の高校生を連れて行けなくなったのは哀しいな。確かに那須の事故は大変だったし、山に絶対安全はないんだけど、マイナスの可能性をゼロにするために、プラスも全てゼロにしてしまうってのは、いったい何なんだろうね。昨日今日のルートで、雪崩の可能性がどれだけあるって言うんだろう?」
 年配の者同士が集まると繰り返される「いつもの話」である。だが、「いつもの話」は平凡なわけでも古くさいわけでもない。切実な感慨だからこそ繰り返され、「いつもの話」になるのである。