働き方改革(続の4)

(2月5日から続く)

 しばらく時間が空いてしまったが、最後になってようやく、具体的なことを書こう。
 残業を減らすためにまず第一に大切なことは、定時退勤を宣言することである。宣言というのはこんな所に書き込みをすることではない。大量の利害関係がある職場で、である。
 何が一番難しいかと言えば、これである。タテマエでは絶対に批判できないことであるにもかかわらず、多忙な職場でそれを口にすることはなかなかに勇気が必要だ。仕事の絶対量が多すぎるとすれば、自分が勤務時間を守るために、逆により多くの仕事を背負い込むことになる人も出るかも知れない。
 前任校では、歓迎会のスピーチで「子育てのために定時退勤を目指す」と宣言した。今の学校では、あまり公の場で言った記憶はないが、何かのたびに、「私は17:27の電車に乗ります。それを乗り過ごすと1時間後まで電車がないんですよ」、「晩ご飯の用意をしなくてはいけないので5時の電車に乗ります」などとと言っている。
 陰で何を言われているかは知らない。だが、こうして宣言すると、「あ、平居先生帰る時間ですよ」とわざわざ言ってくれる人まで出てくる。嫌みを言われている感じではない。こうして、勤務時間を守ることを周囲から認めてもらうこと、それがなんと言っても大切な方法論である。
 これは、同僚に対してだけではない。生徒に対しても、である。「あ、5時だ。帰る帰る。私が晩ご飯の用意をしないと、子供がご飯食べられないんだから。え、奥さん?奥さんは私以上に忙しいのよ・・・」などと繰り返していると、生徒も私の帰る時間に気を遣うようになる。もっとも、私がそう言うことによって、7時、8時まで残って仕事をしている先生に対しても、気を遣ってあげられるようになればいいなぁ、と思うが、あまりそうでもないようだ。
 そしていよいよ仕事の精選である。これはなかなか難しい。省略しようと思ってもできない仕事は多い。そこで大切なのは、精選よりもむしろ、仕事を増やさない、ということである。私が見たところ、世の中には仕事を増やすのが趣味なのではないか、と思うような人がたくさんいる。だが、それをよく見ていると、たいていは過剰なサービスであり、本人が頑張っているという自己陶酔を求めているだけならまだしも、生徒の自立を妨げ、甘えを助長している場合が少なくない。それをしない、ということである。
 教員は「エリート」とまでは言えないが、基本的に「優等生」の集団である。これがくせ者。優等生というのは、人からほめられるのが当たり前の人生を歩んできている。すると、絶えず人からほめられていないと安心できない。いや、それ以上に、「あの人は頑張っていない」とか「やる気がない」など、否定的なことを言われることを非常に恐れる人種である。その心性が仕事を増やす。しかもたちが悪いのは、その時に、今からしようとしている仕事が本当に必要なことであるのか、という吟味はあまりしない。とりあえず、「あの先生は熱心だ」、「生徒のために頑張っている」という評価が欲しいだけだからである。余計な仕事をする側もする側、それをほめる側もほめる側、どちらも一種の目先の利益主義に過ぎない。(注意!=いろいろな事情・考えの人がいます。居残り仕事をしている人を、全てそんな人たちだと思ってはいけません。)
 私も「優等生」の一員として、おそらく、人の批判、冷たい目は恐れている。ここで、前回(3)に書いた、自分がなぜ定時退勤を目指すのかという理念が力を発揮する。ただ働きをしたくない、ではダメで、家事にも時間を費やし、自分の勉強にも時間を費やす、それが教員としての価値を高めることになるのだ、という確信が自分を支えるのである。授業はまじめにやるが、過剰なサービスは生徒をダメにするからできるだけ控える、というのも理念のうちだ。本心からそれが正しいと思うのであれば、人の目を気にすることなく、自分が正しいと思うようにやるしかないのだ。
 というわけで、教員の働き過ぎ問題についての私の見解と対応は以上である。さて来年、自分はどのようなポストにいるだろう?それがどのようなものであったとしても、今の実質残業ゼロは守れるだろうか?いずれ、年度が変わってから続報でも書くことにしよう。(終わり)