〈Marine Traffic〉の喜びと憂鬱

 1週間以上何も書かずにいた。本当に久しぶりで、「学年だより」も出さなかった。修学旅行ロスもあったかも知れない。そして何より、考査期間中は本当に忙しいのである。
 何しろ3種類、のべ240枚の答案を採点しなければならない。ということは、直前に他の教員と意見交換・調整をしながら3種類の問題を作り、採点基準も3種類用意しなければならないことを意味する。加えて、生徒に提出させたきり目を通せていなかった作文類にも目を通さなければならない。しかも、それらに書かれている日本語は、私の言語感覚を破壊するようなものが少なくない。どうしてこんなに単純・簡単なことを、こんなに難しい(分かりにくい)表現で書くのだろう?と頭を抱える。「憔悴する」とは正にこのこと、と思いながらひたすら机に向かっていた。決して退勤時間は遅くない、いやほとんど定時退勤なのだが、家に帰り着くともはや何をする気力も湧いてこない。だいたい同い年の同僚が、定年後に「再任用教諭」として仕事を続けたい気持ちはあるが、この考査時期の過酷な生活を思うと自信がないとこぼしていた。私はそこまで考えたことないけれど、気持ちとしてはよく分かる。
 さて、週末。今週は今日、日曜日に牧山に走りに行った。例の「スズメバチ危険」(→これについての記事)は、先々週だけの話で、先週には既に撤去されていた。それでも、誰にも会わない。あんな気持ちのいい山道に、走りに行く人はいないにしても、どうして誰も散歩にさえ行かないのだろう?
 気温は低いが、本当に穏やかな秋晴れで、空気が澄んでおり、我が家から見る石巻湾の風景は美しい。週末のまとめ買いと、牧山へのジョギング以外の時間は、のんびりと海を見ながら過ごす。ぜいたくな話だ。
 1ヶ月ほど前、久しぶりに卒業生が遊びに来た。その彼が、我が家の居間から海を見ながら、私に「Marine Traffic」というサイトを教えてくれた。何とびっくり、世界中の海のどこにどんな船がいるのか、リアルタイムで分かるというサイトである。停泊中の船は○、航行中の船は船の形の記号で地図上にマークされる。色によって船の種類も一目で分かるし、その記号をクリックすれば、船の写真、出発地と目的地、船籍国、更には建造年、大きさ、速度(性能も現在の速度も)などなどのデータが表示される。これは「伝家の宝刀」だ。
 このブログの記事にも、たびたび船が登場する。我が家から見ていて珍しい船を見つけた時に、記録しておきたくなるのだ(「船」というカテゴリーを作ろうかと時々思うくらい)。珍しい船の正体というのは、ネットも使うことは使うけれども、双眼鏡で見ながら船形の特徴やファンネルマークを手がかりに、いわば「手作業」で探していた。「Marine Traffic」があれば、そんな面倒な作業が必要ない上、「結局分からない」というモヤモヤも感じずに済みそうだ。
 ところが、便利というのは恐ろしいものである。今までは、本当に特別な船だけ正体を知ろうと努力していたのに、これがあると、手当たり次第、見えている船は全て確認したくなってくる。しかも、船籍国が分かると、『データブック・オブ・ザ・ワールド〈世界各国要覧と最新統計〉』(二宮書店)なる本を持ち出してきて、その国の概要を一通り確認したくなる。そして、そんなことをしていると、あれこれ気になることが出てきて、他のページをめくってみることになる。時間はあっという間に過ぎていく。
 もちろん、それは楽しいことであり、楽しい時間が過ごせることはいいことなのだけれど、他にやるべきことがあるとなると、そうも言ってはいられない。しかも、「Marine Traffic」は、船が出している信号を元に作られているのだろうが、信号を出していない船というのが相当数あるらしく、存在はマーキングされるけれど、船の詳細は分からないとか、見えてはいるが地図上にそれらしき船が見当たらないといったこともしばしばだ。逆に、地図上には存在が表示されているのに、どうしてもそれらしき船影が見えない、ということもある。これは本当に不思議だ。すると、「Marine Traffic」が便利であるだけに、その不完全さがかえってストレスになる。
 ああ、こうして文明は私から時間を奪い、新しい悩みを付け加えるのだな・・・。結局、最後はそんな諦観に達する。