冬の最後に井戸沢小屋

 昨日から、仙台一高山岳部の諸君と一緒に、井戸沢小屋(学校所有の山小屋)に行っていた。7年前の那須における高校生雪崩遭難以降、高校生が積雪期の山に入ることが厳しく制限されるようになり、それ以前は1月か2月に実施していた冬の井戸沢小屋訪問が出来なくなってしまった。7年経ったから、というわけではなく、時期を3月下旬にする、あくまでも雪上歩行訓練であり、決してピーク(最寄りは刈田岳)は目指さない、といった条件の下で県(実質的には高体連登山専門部)の許可を得たのだという。
 1ヶ月あまり前、最初の計画書が送られてきて、OBの参加(補助)を求めていたが、OBがあまり名乗りを上げないので、「行くよ」と返事をした。ところが、その後、多くのOBが参加を表明し、OBだけで10名にもなりそうになった。これなら、別に私が行かなくてもいいや、とも思ったのだが、積雪期の静かな山小屋は魅力的だし、今年は2月のOB山行(井戸沢小屋宿泊ツアー)にも参加していないし、というわけで、最終的に行くことにした。「引率」ではなく、「便乗」である。
 週末は非常に忙しいというのも確かなのだが、2月のOB山行に行かなかったのは、それだけの理由ではない。厳冬期に蔵王に入るための靴がないのである。10年あまり前にプラブーツを廃棄し、次に買った夏冬兼用靴は、乾かそうと思って井戸沢小屋のストーブの近くに置いていたら、輻射熱で皮が波打ってしまった上、2019年の南アルプス単独合宿で消耗し、やはり処分のやむなきに至った。その後買ったのは、無雪期用の軽登山靴である。
 また兼用靴を買えばよかったのに・・・と言う人もいるだろうが、ここには哀しい葛藤があった。
 兼用靴は重いので、冬にせっせと山に行くのでなければ、出来れば避けたい。では、いっそ冬用を買うか?しかし、現在61歳の私は、あと何年冬山に入れるか分からない。しかも、年に1度か2度、井戸沢小屋に行くだけである。そのために、5万円もする靴を買うのは勇気がいる。残りの山人生が20年あれば、買うことにためらいはない。つまり、冬用であるか兼用であるかを問わず、冬山に入るための靴を買う決心がつけられないのは、年齢のせいなのである。
 スノーシューにしても、冬用のアウターにしても、シュラフや下着にしても、かなりくたびれている。それらがいよいよダメだ、となった時には、同じ様な葛藤を感じ、もう買う決心はつけられないような気がする。冬用だけではない。夏のテントなどでも同様だ。なんとなく寂しいものだ。
 というわけで、3月下旬ならいいだろうと、今回私が履いていったのは保温用のウレタン層がある長靴である。これは、数年前、やはり3月に蔵王(井戸沢小屋ではない別の所)に履いていって、使用に耐えることを確認してある。
 さて、雲は広がっているが高く、奥羽山脈の稜線が端から端までくっきりと見えているなかなかの天気であった。しかし、天気予報ではその後が悪化することになっている。
 結局、参加したのは生徒が4人、顧問が3人、OBが6人であった。9時、澄川スキー場でリフトに乗る頃には、曇って雪が降り始め、リフトを降りて歩き始めると、風も出て来て吹雪めいてきた。エコーラインでは向かい風になり、春よりは冬の雰囲気だ。たとえ許されていても、刈田岳山頂を目指す気になどならない。
 今年は、1~2月が暖かかった。どこのスキー場も滑走できる状態になかなかならず、数日間しか営業できないスキー場もあったくらいだ。蔵王も、雪はよほど少ないに違いないと思って行ったが、意外に多かった。井戸沢小屋は、厳冬期と同様に、1階がほとんど雪に埋もれていた。
 予報通り、夜になると雪はやみ、月が見え始めた。気温は上がり、夜中には溶けた水の屋根から落ちる音が聞こえるようになった。それでも、積雪期は山全体がとても静か。そこで大きな薪をストーブで燃やし、Tシャツ1枚で過ごせるようになると、山小屋の魅力は極まる。大量に持ち込んだ飲食物を前に、世代を超えて(参加者の最年少は16歳、最高齢は75歳)語り合うのは楽しい。
 今日はスッキリ晴れるのかと思っていたら、視界が悪く、そこそこ風も出ていた。高校生と別れて刈田岳を目指すと言っていた2名のOBも、あっさり諦めた。全員、昨日と同じルートで澄川スキー場に下りる。
 ところが、その後天候は回復し、スキー場の下に着いた頃には青空が広がり、気温も急上昇していた。風もなく、ポカポカと言ってもよいほど、すっかり春の陽気だ。スキー場に地肌が見えていたりはせず、営業はもう少し続くらしいが、山頂を目指す雪上車の運行は今日で終了らしい。
 冬の最後に、滑り込みで山小屋を堪能できた。よかったよかった。