修学旅行の荷物をどうする?

(2024年3月22日「担任のお話」№37より)


 かなりきわどい人もいたが、変な温情をかけてもらうことなく、全員の進級が決まったことはめでたい。(おめでとう!!)
 ただし、赤点さえ取らなければいい、というものではない。与えられた学習環境を最大限活かして勉強することが、高校生の務めであり、学校や生活を支えてくれている全ての人々に対する感謝の表現だ。忘れないようにしよう。
 「(授業の課題以外の)提出物」を見てみるとよく分かるが、昨春には「あっ」と言う間に回収できていたのに、年度末にはとても苦労するようになった。これは明らかに「できない」のではなく「しない」ということであり、諸君の慣れと緩みとがよく表れている。
 1年生は、入学当初の緊張によって真剣に勉強していた期間があった。3年生は、目前に「進路」という目標がはっきりと見えてくるので、比較的モチベーションを高めやすい。ということは、2年生=来年度こそが「自分との戦いの年」ということになる。ぜひぜひ頑張ってくれたまへ。


【修学旅行の荷物をどうする?】


 しばらく前の話になるが、高校入試で諸君が自宅学習日だった間(だったかな?)に、修学旅行に関して、「学校から京都まで、生徒の荷物を送りますか?」と聞かれた。クラスごとに担任が決めてよいというから、私は即座に「必要ありません」と答えた。他の4クラスは送るらしい(もちろん有料)。
 と言えば、おそらく、諸君の多くが不満を持つに違いない。荷物は別便で送り、手ぶらで行った方が楽。それこそが楽しい修学旅行だ。それが分かっていながら、なぜ私は断ったのか?理由は次の通りだ。

 

・荷物は送ればいい、となると、持ち物を精選し、コンパクトにまとめるという努力・工夫をしなくなる。
(いつも言う通り、便利になると人間は頭を使わなくなり、バカになる。たかだか3泊4日の旅行である。小さな手提げカバンひとつで十分。昨年12月、今の2年生が、出発前日トラックに荷物を積み込むのを見ていると、1ヶ月も海外に行くような巨大スーツケースを持って来る人が少なくなかった。自分で持たなくてもいいとなると、とりあえず何でも持って行こうということになるから、荷物が増えるのだ。)
・「物流の2024年問題」(←分からない人は調べよ)が深刻であるとされている中、高校生が少し楽をするために、関西までトラック1台を走らせるというのは、環境負荷の問題もあって、私の感覚では犯罪である。

 

 私は、入学式当日、「私の仕事は諸君に楽で快適な高校生活を送れるようにすることではなく、苦労しながら成長するように仕向けることだ」と言った。今回の荷物輸送は、その典型的な事例である。上の理由を読んでも納得できず、文句がある人は、私に言っても無駄なので、4月になってから次の担任(笑)か学年主任にでも泣きついてみるとよい。


(これら以外の記事は省略。裏面には、校史の一部や先日のブログ記事「工業高校を増設せよ」で言及した朝日新聞記事を貼り付け、平居コメントとして、ブログ記事とよく似たことを書いた。)