苦闘、南アルプス(5)

【山の時間】

 本当に天候に恵まれた今回、それでも(2)に書いたとおり、夜は4回雨に降られた。そのうち1回はごく軽微だったが、3回はバケツをひっくり返したような土砂降りだった。強運のおかげで、3回のうち、本当に悲惨な思いをしたのは北岳山荘での夜だけで、1日目広河原はインフォメーションセンターの軒下で難を逃れ、百間洞(ひゃっけんぼら)は諸般の事情でたまたま小屋泊まりであった。
 「諸般の事情」が面白いので、少し寄り道して書いておく。
 最終日、椹島(さわらじま)というところに下山すると、畑薙第一ダムまで誰もが東海フォレストという会社のバスで移動する。約1時間の道のりである。畑薙第一ダムから上は自家用車の乗り入れが禁止されているので、このバスに乗らないとすれば歩くしかない。相当な距離である。静岡駅行きのバスも畑薙第一ダムが始発だ。
 東海フォレストのバスは、運賃が無料である。ただし、条件がある。東海フォレストが経営(例えば百間洞山の家の所有者は静岡市なので、正しくは受託経営)する山小屋に宿泊し、その領収書を提示すること、である。小屋に付属しているテント場を借りるだけではダメで、素泊まり以上であることが求められる。金額で言えば、5500円か6000円だ。
 いいやり方だとは思わない。自家用車乗り入れ禁止の場所が、いくら東海製紙という会社の社有林であるとは言っても、そのバスの公共性は高い。運賃を1000円にでも設定して、領収書があればタダにしますよ、と言うならよいが、領収書がなければ乗せません、はよくない。ちなみに、畑薙第一ダムからの入山にバスを使う場合は、バス乗車時に、東海フォレスト経営の山小屋で使える3000円分の金券(宿泊施設利用券)を買うことが、乗車の条件となる。
 今回、私が宿泊する可能性のあった所で、東海フォレスト経営の山小屋は、高山裏か百間洞である。だから、どちらかに泊まる必要があった。私が高山ではなく百間洞を選んだ理由は、自分でも分からない。なんとなくそうしたのである。そうしたところ、土砂降りだ。助かった、と思った。
 さて、「毎日朝から快晴、昼頃にはガスがかかり始め、夕方からは雨」とした場合、おそらく多くの方は、朝=7時頃、昼=12時頃、夕方=4時か5時という想像をするだろう。しかし、それは間違い。(2)を見れば分かるとおり、私は毎朝4時半前後に出発している。これはヘッドライトなしで歩ける明るさになったら出発、ということである。つまり、朝とは4時半、5時といった時間のことだ。
 高い山ほど早くガスがかかり始める。これは日によって差が大きかったが、早ければ7時半頃、遅くとも10時にはガスがかかり始める。つまり、昼とは9時か10時頃だ。出発してから4~5時間なので、そう考えれば、下界の時間感覚でも理解可能だ。
 宿泊地には14時か、遅くとも15時までには着くべきだ、というのは山の常識だろうと思う。出発して約10時間ということからも、それは妥当な線だ。従って、その後の時間はもう夕方だ。つまり、下界の時間-2時間=朝昼晩ということになる。
 登山者の中には、この「山時間」が全然分かっていないと思われる人も多い。4時半、5時といった時間に山小屋に到着する人を見ていると驚く。しかも、そういう人達に限って装備も実に怪しい。

【山で会った人達】

 テント場にしても小屋にしても、午後の時間をもてあますものだから、周りの人達と山談義、四方山話に時間を費やすことになる。この点、山はいい。見ず知らずの人とでも、自然な会話をすることができる。
 だいたい、南アルプスに来ているような人達は、たまたまそこにだけ来たのではなく、全国各地の山にせっせと登っている人が多い。山好きしか集まっていないということもあって、話題の共通性は非常に大きい。自分と逆コースで登っている人は情報源としての価値も絶大だ。
 山の年齢層は高い。私が「若いからそんな大きな荷物が背負えるんだな」などと言われるほどである。50代と60代が多く、70代も決して珍しくない。同世代としての話題の共通性も大きい、ということだ。山での会話は楽しい。
 一人が一日に歩ける距離はだいたい決まっているので、同じ方向に向けて歩いている人は、幾晩も同宿するということにもなる。私が今回、静岡駅まで送ってもらえたのも、そんな縁があったからである。
 ただし、基本的に名乗らないし、職業等に触れることもない。個人情報云々というわけでもないだろうし、殊更に深い付き合いをしたいわけでもないのだが、いかにも何かを避けているようで、気持ちのいいものではない。しかも、話し方がいかにも親しげであるだけに、違和感が大きい。

【車で山】

 山小屋やテント場で会話をしていると、真っ先に話題になるのが、どこから入山してどこに下山するかということだ。私が、広河原から入って椹島に下りると言うと、決まって「えっ!?車はどうするんですか?」と聞かれる。山に登るのも、車でアプローチするのが当然、それ以外に移動の手段は存在しない、と思っているらしいのだ。私が、公共交通手段利用だというと、半分は納得したような顔をし、半分はよくそんな手間のかかる方法で移動するものだと呆れた顔をする。
 広河原にも椹島にも自家用車は乗り入れ禁止。上で書いたとおり、椹島は畑薙第一ダムで東海フォレストのバスに、広河原は芦安(あしやす)で一般のバスか乗り合いタクシーに乗り換えだ。当然、それらの場所には広大な駐車場がある。聞けば、ほとんどの人が、そうして日頃から車で山を登り歩いているらしい。宮城県から一人で車を運転して、畑薙まで来ている人にも会った。そして、日本アルプスの主な登山口には、どこでも広大な駐車場が用意されているという。
 温暖化を始めとする環境問題に激しい危機感を持っている私には、想像を絶する世界である。この期に及んで、たかだか個人の趣味のために、躊躇なく自家用車を走らせて何とも思わないというのが理解できないのである。もちろん、自家用車に頼る→公共交通手段が衰退する、という悪循環の中で、人は際限なく自家用車にシフトしていく。
 不便であり、それによって登れる山の数が減ったって、私にはたいした問題には思われない。むしろ、車を使えば幾つ登れる、と効率化を進めることの方が、山をつまらなくするようにも思う。宮城だって、川崎や白石から歩いて蔵王に登っていた時代があった。私には、それが貧しい登山だとは思えない。