苦闘、南アルプス(4)

【混雑】

 南アルプスの最奥部なら、ハイシーズンでも登山者は多くない、という友人の言葉を信じて行ったわけだが、果たして、その点についてはどうだっただろうか?
 私が行った7月28日から8月3日が、そもそもまだハイシーズンではないと思われるので、「答え」が当てになるかどうかは知らないのだが、確かに、多くの人で混み合っていた、ということはなかった。歩いていても、人とすれ違うのは「たまに」というレベルである。実は今回、私は2回山小屋に泊まったのだが、どちらも3分の2程度の入りだったと思う。
 最も空いていたのは高山裏避難小屋であった。私がそのテント場に泊まった7月31日は、わずかに小屋泊が1名、テント泊が5名(3張)であった。
 一言で「南アルプス」と言っても、私が見たところ、大きく3つの領域に分かれる。1つは広河原の北、鳳凰山仙丈ヶ岳のあたり(北部)、2つめは広河原から三伏峠か小河内岳、すなわち北岳間ノ岳塩見岳を中心とする領域(中部)、そして3つめは、荒川岳赤石岳聖岳を中心とし光岳までの領域(南部)、である。中部と南部の接続部分に位置するのが高山裏避難小屋であることを思うと、基本的に人はそれぞれの領域内で移動しているのであって、それらの領域をまたいでは動いていない、ということになる。
 今回の時期であれば、多少人が多めだった北岳塩見岳聖岳あたりでも東北の山とさほど変わらず、混雑が嫌いな私でも抵抗はぜんぜん感じないレベルである。
 聞いた話によれば、お盆の時期にはこの数倍の人が入山し、百間洞山の家や荒川小屋といった、麓から1日ではたどり着けないような場所にある小屋でさえ、超満員になるそうである。山の深さ=道のりの長さ、起伏の激しさといった条件を考えると、驚くべきことである。もちろん、私はそんな時期には絶対に行かない。

【山の予約】

 頭の痛い問題があった。計画を立てていると、どうしても塩見小屋で泊まることが必要なのである。これがなぜ頭の痛い問題だったかというと、塩見小屋にはテント場がなく、しかも小屋が完全予約制なのである。
 台風で1日日程をずらした時、塩見小屋に行くのは、7月30日(火)になるだろうと「予想」できた。なぜこれを「予想」と言って「予定」と言えないかと言えば、天候や体調によっては7月31日になるかもしれないし、そもそも塩見小屋まで行かないかもしれなかったからである。
 私は困って、7月27日(土)の時点で、そのような曖昧な事情を話して宿泊を依頼するために電話をかけることにした。が、なぜか3回かけて、3回とも誰も出なかった。私は予約しないままに出発した。
 計画どおり行けば、8月3日(土)に椹島(さわらじま)に下山することになっていた。椹島からバスで畑薙ダムに出ると、そこから1日に1本だけ、静岡駅行きのバスが出ている。自家用車を別にすると、山麓と町を結ぶ唯一の交通手段だ。これがまた、完全予約制である。ホームページには、前日の19時までに必ず予約しろと書いてある。入山=乗車の1週間前に、必ずそのバスに乗るとして予約をすることは難しい。結局、私はこのバスについても予約しないままに出発してしまった。
 予約制にして、利用者数を把握したいという経営者の気持ちは分かる。予約制にすれば、利用者にとっても快適な環境を確保しやすい。しかし、山について言えば、それは決していいことではない。
 なぜなら、予約してしまったことによって、何月何日に必ずどこへ行かなければならないという縛りが発生し、体調が悪くても、天気が悪くても無理をすることになってしまうからだ。山での無理は危険に直結する。
 こんなに深い山の中でも、あちらこちらで携帯電話は通じるらしく、下界と同様に、人々はせっせとスマホの画面に向かっていた。そんな人にとっては、予約をするにしても、予定どおり行き着けずにキャンセルするにしても、難しいことではないのかもしれない。だが、私のように携帯電話を持っていない人間は・・・、山でさえも「来てはならん」ということなのか?
 幸い、塩見小屋では混雑していなかったこともあって、嫌な顔をせずに泊めてくれたし、下山後は、山小屋で知り合った人が、自宅が静岡駅の近くだからということで、駅まで送ってくれた。しかし、それらは結果論。やはり、山での予約には無理があり、危険だと思う。

【動物たち】

 南アルプス森林限界が高い。2500mを超える稜線でも、ダケカンバやオオシラビソなどの樹林帯であることが珍しくない。その結果、生き物の気配は濃い。未明から林間のテント場ではものすごい鳥の鳴き声を聞くことができた。まるで熱帯雨林のようだ。
 雷鳥は見たいと思っていた。かつて北アルプスでも見たことがあったし、さほど珍しい鳥でないことは知っていたが、やはりこれを見ないことには日本アルプスに来たような気がしない。
 2回見ることができた。1度目は、小河内岳からの下り。歩いていた私の2~3m前に、突然ハイマツの中から雷鳥が飛び出してきて、そのまま数m、登山道を先導してくれたと思ったら、ぷいとハイマツの中に入ってしまった。
 2度目は、聖岳の手前、中盛丸山への登り斜面である。ここではゆっくり近くで雷鳥見物ができた。私が確認できたのは親鳥が2羽と雛が3羽である。のんびり朝の散歩、という風情であった。警戒心が強くないというのもいいし、あのころころとした体型は実にかわいい。
 他に姿を目にしたのはホシガラスとイワヒバリくらいか。
 三伏峠荒川岳のお花畑の周りにはフェンスが張られている。なぜ?と思って尋ねてみると、鹿対策だと答えてくれた登山者がいた。本当かどうかは知らない。「熊注意」の看板も何度か目にした。
 これは南アルプスに限ったことではないが、どこへ行ってもおびただしい虫がまとわりついてくる。主にハエだ。刺す虫が全くいないのはよかった。
 私は「命」の気配濃い山が好きである。それでこそ自然の豊かさを感じるからだ。