いざ雲の平、高天原へ

 夏休みに入って早々、7月23日夜に自宅を出て、北アルプスに個人合宿に行っていた。昨日下山して、夜に帰宅。進学課外など存在しない工業高校普通科教諭の特権みたいな時間の取り方である。
 還暦になっても、とりあえず体は動く。思い出は持って死ねない、と分かっていながら、残りの人生で、できれば行っておきたい場所がいくつかあって、その一つが「雲の平(くものたいら)」と「高天原(たかまがはら)」だった。あまりにも有名な場所なので、一般紙・誌で目にすることもあるが、既に20年以上も前、友人が「雲の平はいいぞぉ」と言っていたことで記憶に刻まれた。
 雲の平とは、標高2500m前後の場所に広がる25万㎡(=25㏊=東京ドーム約5.5個分)の溶岩台地で、ゴロゴロとした大きな溶岩の塊が庭石よろしく存在するところに、花々やハイマツといった高山植物が生えている。まるで庭園のような場所だということで、その特徴に応じ、区域ごとに「アラスカ庭園」「ギリシャ庭園」「アルプス庭園」「奥日本庭園」「スイス庭園」「奥スイス庭園」といった呼称が付けられている。高天原とは、さほど大きくもない湿原地帯であるが、そこから徒歩15分ほどの所に温泉が湧いている。正に秘湯中の秘湯である。湿原に隣接して建つ山小屋・高天原山荘は、電気を供給する設備を持たず、ランプの宿としてもよく知られる。
 この二ヶ所は徒歩3時間くらいで隣接している。ともに富山県の最も南東の隅っこ、長野県、岐阜県に近いところにあって、アクセスは最悪。最も近いと思われる折立という登山口から、山岳地図のコースタイムで9時間あまり歩かなければ、雲の平に行き着くことはできず、高天原に至っては11時間半もかかる。早朝に折立を出発したとしても、ぎりぎり1泊2日で往復が可能、両方行くためには2泊3日というレベルなのだ。しかも、早朝に折立を出発し、午後に折立に下山するためには、更に前後1日ずつが必要となる。というわけで、「そのうち」と心の中でつぶやきつつ、時間ばかりが過ぎて行っていた。
 時間が過ぎて行ったのには、もう一つ理由がある。
 私は人の多い山が嫌いである。静かな山道を淡々と歩きたい。山岳雑誌で時折目にする日本アルプスの混雑を思うと、行こうという意欲は湧いてこなかった。北アルプスに行ったのは、14年前に仙台一高山岳部の生徒の強い希望に負けて、槍ヶ岳~燕岳に行ったことがあるだけである。しかし、思えば、その時、確かに上高地から槍ヶ岳の頂上付近にはそれなりの人がいたが、「あふれている」というレベルではなく、それ以外の場所はたいしたことがなかった。また、今春、京都を訪ねた時のことを思い出してみると、観光客は金閣寺や二条城といった、知名度ベストテンに入るような寺院に集中していて、他はどこも閑散としていた。
 何しろアクセス最悪の場所である。有名な人気スポットには違いないが、時期をずらし、週末を避ければ、意外に人は多くないかも知れない。人生の残り時間は短くなっている。仕事をしている以上、いつでも時間が取れるわけではない。というわけで、今年決行しよう、と思い始めたのは、まだ年度の替わらない2月か3月頃のことであった。
 計画を具体的にしたのは6月である。狙うは「梅雨明け10日」。夏、最も天候が安定する時期だ。ところが、「梅雨明け」がいつになるかは年によって違う。富山県の梅雨明け平均値(7月23日)を念頭に、それが早まるか遅れるか、あらゆる情報を元に考える日々が始まった。なにしろ、雨の中を歩くのは大嫌いだし、雨の中のテント泊は更にストレスフルだ。その上、景色(遠景)が見えないのでは、わざわざ行く価値がない。生徒引率の「お仕事」ならともかく、私自身の個人合宿は絶対に「晴れ」でなければならないのである。
 私は、7月の半ばに、今年の梅雨明けはほぼ平均値通りだろうと予測した。そして、勤務先に休暇申請と旅行届けを出した上で、23日のバス(仙台→富山)を予約した。ところが、その直後くらいから雲行きが変わり、更に数日は梅雨明けしないのではないかと思うようになった。毎日、胃の痛むような思いで気象情報を調べ、やっぱり23日出発でいいのではないかと確信したのは、前日22日の午前であった。(続く)