夏休みおしまい

(2020年8月18日付「学年だより№57」より)

 早くも夏休みおしまい。昨年、南アルプスでやや自信回復した私は、今年もいくつか残る「懸案」のひとつ、北アルプス「雲の平」に行くぞ、と心に決めていたのだが、コロナ騒ぎであえなく挫折。一人用のテントを持って1週間山籠もりするのに、コロナも何もあるものか、とは思ったものの、長い時間公共交通機関に乗るという問題はあるし、そもそも夏休みが短すぎる(授業がない=休み、ではないからね)。というわけで、大人しく自宅で机に向かう日々を送っているうちに、新学期となってしまったのであった。あれれ・・・。
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 梅雨明けが遅かったせいで、7月は暑さに苦しまずに済んだが、さすがに夏休み明けと同時に秋の気配、とはいかなかった。夏が後ろ倒しになったとすれば、例年以上に残暑が続くかも知れない。これもひとつの「人生経験」。
 多分みんな知っている(憶えている)と思うが、私は兵庫県の瀬戸内地方で高校時代を過ごした。まだ「温暖化」とか「猛暑日」といった言葉が存在しなかった40年も昔のことだが、そこでは熱帯夜が当たり前、35℃を超える日も決して珍しくなかった(記憶曖昧)。今の宮城県よりは絶対に暑い。
 それでも、職員室や図書館も含めて、学校にエアコンはなかったし、受験を控えた3年生は、時々水で顔を洗いながら、夏休み中でも学校で黙々と勉強していた。それを思うと、今の宮城県でエアコンがないと夏が耐えられないなどというのは変な話だ。精神力だけで何でも出来る(耐えられる)などということはないが、一方、「病は気から」という言葉もあるように、何をする上でも気持ちというのは大切だ。私は「暑いな」と思った時には、あの瀬戸内の夏を思い出すことにしている。


裏面:8月11日付朝日新聞「戦後75年 コロナの夏に(1)」欄を貼り付け。見出しは「民主主義 今はどうかしら」。
平居コメント:話が重い、面倒くさい、という人もいるかもしれないが、夏休み中に「終戦記念日」があることもあって、毎年必ず、休み明けには「戦争と平和」の問題に触れることにしている(私個人の内部ルール)。今年は表(おもて)で触れなかったので裏で・・・。前の「学年だより」(№56→こちら)で出しておいた「問題」の答えでもある。これが全てではないだろうけど・・・。


ブログ用の注)戦争を経験した高齢者からの聞き書きなのだが、とてもいい記事である。
せっかくなので、一部引用しておこう。
「1948年文部省は教科書『民主主義』を発行した。中学や高校の社会の授業で使われた。
 その歴史や各国での成り立ちとともに、『民主主義は単なる政治上の制度ではない。自分の意志と判断で人生を切り開くというすべての人々の心の持ち方だ』と繰り返し説く。
 ・選挙でガラス玉の中からほんものの宝石を選び出す。
 ・国家の名誉だのとよそいきの着物で飾る独裁者を見破る。
 ・乱れ飛び情報から真実を見つけだす習慣をつける。
ひとりひとりが賢明になるように。その理念が全編にわたって貫かれていた。」
「戦後学ぶにつれて、疑問を持つようになっていった。なぜ大人たちは戦争を止められなかったのか。
 『為政者に左右される人生はもうたくさん。それを変えられるのは自分で判断する力だと、それを養うことが民主主義なのだと、私は教わったの。』
 『民主主義』の教科書が使われたのは53年までだ。米ソ冷戦を受けて、日本は西側陣営に組み込まれていく。政治への厳しいまなざしは、教育から徐々に影を潜めていった。」


(今回はこれ以外の記事は省略)。