天皇に謝罪を求める、とは?

 韓国の国会議長が、従軍慰安婦問題について、天皇が謝罪すれば済むと言った話が、またもやトラブルになっている。「またもや」と言うのは、当然ながら、自衛隊機に向かってのレーダー照射問題や、徴用工判決など、両国関係をややこしくするような面倒な問題が、いくつか続いているからである。
 議長の言い分も分からないではない。太平洋戦争中の日本における最高権力者は天皇だった以上、代が変わったとは言え、その地位にある人間が落とし前を付けるべきだ、ということかもしれないし、今の天皇の人品を見込んで、この方が頭を下げれば誰でも納得する、と考えているかも知れない。確かに、今の天皇に頭を下げられれば、その人が天皇という地位を理解していようといるまいと、その人格によって、赦さざるを得ないという感情が湧いてくるように思う。議長が言うとおり、これほど簡単で分かりやすい話はない。いったいいつまでこのゴタゴタを引っ張るのだ、という立場からすれば、天皇に頭を下げてもらうのはいいことである。
 これに対する日本政府の対応は、いささか不可解である。首相は衆議院予算委員会で「多くの国民が驚きや怒りを感じたと思う」と語り、官房長官は「甚だしく不適切な内容を含むものであり、極めて遺憾だ」と発言した。外相は、確か先陣を切って「極めて無礼だ」と言っていた。この情報は、あらゆる所で見ることが出来るのだが、私のアンテナが低すぎるのか、なぜ「驚きや怒りを感じ」るのか、どういった点が「甚だしく不適切」なのかについての解説はない。
 この対応について、私は今のところ非常に不愉快である。外相の発言に表れているとおり、どうも、天皇に頭を下げさせようというのは不敬だ、と考えているだけのように見えるからだ。いやしくも我が日本の天皇陛下様に頭を下げさせようとは不届き千万、畏れを知らぬにもほどがある、いい気になるな・・・まぁ、こんな感じだろう。政府の発言に対して、マスコミが一斉に反発しないのは、多くの国民が似たような感情を持っている、ということなのだろうか。なんだか少し情けない。例によって(笑)、私の考えは全然違う。
 私も、天皇に謝罪を求めるのは悪いと思う。だが、それは不敬だからではなく、天皇の政治的利用そのものだからである。よりによって、どれだけ天皇の意志であったかはともかくとしても、間違いなく元首であり政治的存在であった天皇が引き起こし、遂行した戦争で苦しんだ韓国人が、非政治的存在となった天皇を自ら再び政治的存在にすることで、その問題を最終的解決に持ち込もうというのは矛盾した話である。
 天皇という絶対的権力の存在が、軍部の暴走と絡み合う形で、日本を破滅への道へと進ませることになった。戦後日本の政治体制は、絶対者の存在を否定し、民主主義を標榜して進んできた。民主主義を健全たらしめる民度にはまだまだ問題も多いが、それでも、絶対体制が存続しているよりはよかったと思う。従って、日本政府が主張すべきは、以下のようなことだろう。

「日本による戦時中の愚行蛮行について、私たちはいまだに胸を痛め、申し訳なく思っている。天皇ご自身も一般の日本人以上に強く、従軍慰安婦の方々を始めとする戦争被害者の方々にお詫びしたいという気持ちを持っておられる。だが、それをすることで従軍慰安婦問題の解決、もしくは日韓関係の改善を図ることは、天皇の政治的利用に当たる。戦後の日本は、天皇という絶対者の存在が戦争の惨禍を生んだという痛切な反省に基づき、国際平和の実現のためにも天皇の政治性を無にし、国の象徴とすることを決意し、その方向へ向けて努力を重ねてきた。今、天皇が謝罪すれば当面する問題の解決という一時的な効果はあるかも知れないが、将来的には更に大きな問題を生みかねない。だから、天皇ご自身が謝罪なさらないようにするのは、貴国や国際社会のためでもある。どうかその点をご理解いただきたい。」

 こと天皇が絡んでくると、非常に感情的になる人というのが相当数いる。だからこそ、天皇などというのは危険な存在だから、なくしてしまえ、という意見も出てくる。幸い今の天皇が立派な方で、おそらく次の天皇もそれなりの人物だろう、と思っている私は、天皇制廃止!などといきり立つ気はない。しかし、今回の議長発言を巡る日本政府関係者の発言を見ていると、やっぱり「天皇」という存在は危険だな、と思う。感情は論理を超越して暴走する。もちろん、危険なのは天皇ではなく、天皇を絶対視する人々の心である。