業界紙、面白〜い!

 ほとんど2ヶ月近く休んでいた。今日からしばらく復活の予定。久しぶりに自分のブログを開けてみれば、知らないうちに、2012年7月下旬以来の総アクセス数が50万を超えていた。字ばかりべったり並んだブログであることを考えると、まあ、多いのではないかと思う。トラブルらしいことがなかったことも含めて、ありがたいことである。
 さて、過去2ヶ月間にあったことについて、あれこれ思い出しながら書いてみようかと思うが、最近のことの方がやはり新鮮なので、どちらかというとさかのぼりながら書くことにする。
 先週の金曜日、河北新報社で「宮城県NIE推進委員会高校部会研修会」なるものを開いた。私が企画・立案・準備したものである。今年の研修会は、「業界紙と産業を考える」をテーマに、講師として日刊建設工業新聞、日本農業新聞、日刊水産経済新聞の記者を招き、それぞれの新聞の紹介、各業界のこと、取材をしながら感じていること、などをお話しいただいた。
 私は、たまたま水産高校にいる都合で、水産経済新聞だけは日常的に目にする機会があるが、そうでなければ、業界紙(正しくは専門紙と言うらしい。かつて実業高校と呼ばれた学校が、今は専門高校と呼ばれるのと似ている)なんて、目にする機会も、触る機会もない。どの業界も、日々の生活と切っても切れない深い関係にあるわけだし、今年の企画は絶対に面白いぞ、と自画自賛していたところまでは良かったが、ふたを開けてみれば参加者はたったの9名(=高校教員。この他に河北新報の方が2名いたので計11名)。水産経済新聞なんて、費用会社持ちで東京から副社長が来て下さったのに、本当に申し訳なく、主催者として平身低頭しながら会は始まった。
 話は一人20分、その後質疑応答15分、と予定を立て、伝えてあったのだが、最初に登場した某記者は、20分経過した時に、まだレジメの真ん中にも達しておらず、話はまとまる気配がない。困ったな、「チン」でもあった方が良かったかな、などと思ったりしたのだが、話そのものはひどく面白いし、途中で止めてくれとも言えないので、そのままにしていた。話は40分経っても終わらない。
 だが、この頃になると、時間を守らない記者が悪いのではなく、20分で話を依頼したこちらが悪いのだ、ということがよく分かってきた。結局、話は45分続いた。1人目が長かったからか、1人目が終わった時点で、長引いて質疑の時間が取れないのは、企画の側のミスである、と謝ったからか、2人目も、3人目も、お話はだいたいそれくらいの時間になった。一瞬たりとも退屈することのない、濃密な時間だった。
 彼らは、単に生活のためにその新聞の記者をしているわけではない。その産業に思い入れと愛着とを持っている。それでいて、業界内部にいる人と違って、自分自身の利益ではなく、産業全体のことを客観的に見つめている部分もある。つまり、その産業を新聞によって支え、盛り上げていきたいという気持ちを持つ一方で、目の前のやり方が本当にいいのか、といった批判的な目も持っている。それが、彼らの面白さなのだ。
 9人しか参加しなかったが、熱い9名だった。参加者が少なかったおかげで、全員と名刺交換もでき、終了後の懇親会にも記者が全員参加して下さって、大いに盛り上がった。これは、参加しなかった人が損をした、というだけだな。
 今回初めて知ったのだが、「専門紙・業界紙一覧」なるサイトを見てみると、なんと、日本には150もの業界紙が存在する。これはとりもなおさず、産業の豊かさであり複雑さを表す。温暖化との関係で、経済の衰退やむなし、ということについて過激派である私も、日頃、それらの産業のお世話になりながら生活しているのは確かだし、高校教員として、生徒が現実に向き合い、生き方について考えるきっかけとして、産業のことは普通科の生徒にももっと勉強して欲しいなぁ、と思っている。日本を代表する業界紙の、魅力的な記者の方々と個人的に知り合えたのも収穫だった。今回の企画は計画に問題があったとはいえ、初めて、というのはそんなものだろう。また機会を改めて、何かの勉強会や宮水の授業にでもご登場いただくことにしよう。