事の軽重

 某有名卓球選手が不倫をしたのではないかと話題になっていた。早々に本人が登場し、部屋は二つ取っていて、いわゆる不倫の関係にはないというようなことを述べていた。スポーツ選手と言えば、昨年の秋だったか、某水泳選手がやはり不倫をしたというので話題になった。卓球選手と違って、こちらは事実らしい。
 私は、彼らを責めるためにこれを書いているのではない。どうしてこういう個人的なことを暴き立て、大騒ぎするのだろう?と、周囲(世間)に文句を言いたいのである。部屋が一つだろうが二つだろうが、本当にどうでもいい個人的問題である。
 確かに、社会的影響力が大きい有名人には、一般人にはない責任があり、人並み以上に厳しく身を律する必要はあるだろう。しかし、マスコミが大騒ぎをしなければ、彼らの行為が視界に入る人などごくわずかであり、社会的影響力も何もないのである。不倫がバレることによって、彼らの家庭内にどのような波風が立ち、それをどのように解決させていくのか・・・それはあくまでも個人的問題、家庭内の問題として放っておけばいいのだ。監視社会のようなものが生まれること、人間関係が萎縮モードに入ることのマイナスの方がはるかに大きい。
 一方、政治家の悪は、あいかわらず不思議なほど問題にされず、忘れられやすい。3月6日の毎日新聞「森友改ざん事件 忘れないで」を読みながら、やりきれない思いにとらわれた。例の強いられて国有地売却の決算文書を改ざんし、それを苦として自殺した赤木俊夫さんについての記事である。森友事件については調査・回到済みとして、赤木さんが改ざんの経緯を記録したというファイルについて、政府はその有無さえ明らかにしようとせず、闇に葬ろうとしている。
 赤木さんは、なぜそのファイル、もしくはそのコピーを自宅に置かなかったのか、と思う。遺書にファイルの存在を書いたとして、不都合であれば、財務省は密かにそのファイルを処分し、「探したが見つからなかった」と言うだろう。だから、政府が有無を明らかにしないのは、「ある」ということだろう。密かに処分しない(とも本当は分からないけれど)のは良心的だ、などとほめてはいられない。財務省の中には、内部告発をする気骨ある職員はいないのか?
 「桜」に関する前首相の責任追及も、なんとなくうやむやになりそうな雰囲気だ。
 総務省の接待問題は、首相の息子だから断れなかったとしか思えない。なにしろ、意に沿わないことをする官僚には、人事権を武器として、言うことを聴かせてきた強権的な首相である。接待問題を契機に、そんな強権手法や、自分が総務大臣の時に、プー太郎に近かった道楽息子を大臣秘書官に取り立てた身びいきな姿勢に対してこそ、問い直しが為されなければいけない。
 昨夏、サービスデザイン推進協議会という、得体の知れない、わずか10人によって構成される団体に、769億円で委託した事業が、そっくりそのまま20億円引きで電通に再委託されていたことが報じられた。その後の報道によれば、この事業は電通から更に再々委託、再々再委託され、150億円以上のお金が仲介費用(それぞれの段階でのリベート)として消えていたという。これも一瞬大きな話題となったが、今や話題になることはほとんどない。
 金と言えば、2月末(24日だったか?)に毎日新聞で報じられた官房機密費の話も衝撃的だった。官房機密費の中でも政策推進費という、官房長官が自由に(おそらくは領収書もナシで)使えるお金である。現首相は、官房長官だった2822日間で約87億円、1日あたり300万円以上という途方もない公金を使ってきたが、これの使途がまったく分からないそうだ。
 日本学術会議議員の任命問題も、何ら解決などしていない。その際、学術会議を問題視したことの大きな根拠の一つが、年に10億円の公金支出である。野放図な官房機密費と比べて、本当に取るに足りない金額だ。そこに日本の民主主義がかかっているのに、これももはや忘れられムードに入りつつある。
 内閣支持率は、昨秋以来着実に低下してきたが、この2~3日の世論調査では横ばい、もしくは上向きに転じている。しかも、いくら低下したとは言っても35%、3人に1人以上が現内閣を支持しているのである。卓球選手の不倫もどきや震災10年と、政府や首相の言動に対する世間の反応のアンバランス、それを私は恐ろしいと思う。明らかに「事の軽重」についての判断が間違っている。