少しの希望と膨大な憂鬱

 相変わらず、毎週、仙台市郊外に住む母の生活支援に通っている。先週の土曜日に行った時、「選挙どないする?行くんやったら、明日来られへんから、今日期日前投票に連れて行ったるで」(私も関西弁)と言ったところ、「行く、行く。私なんか死ぬの待っとるだけやけど、世の中無茶苦茶になったら、若い人にとってもえらいこっちゃから・・・」と言う。さすがは我が母。よく分かっている。と言うわけで、母を市役所に連れて行った。
 着いてびっくり。車も人もあまりにも多いから、すぐ隣にある体育館やホールで何かのイベントでもやっているのかと思ったら、老いも若きも、全ての人が市役所内=期日前投票所に向かっている。庁舎内には長蛇の列だ。若い人も多い。グニャグニャと列が続き、係の人が「ここが最後尾で~す」と声を張り上げている。
 今日、授業に行って、「投票に行った人?」と手を挙げさせたところ、投票権を持っている生徒の大半が手を挙げた。大雑把な調査だが、若者ほど投票率が低いと言われる中で、我が教え子たちは8割以上が投票に行ったようだ。立派なものである。
 結局、最終的な投票率はたいしたことはなかったが、「日本もまだまだ捨てたもんじゃねえな」と、多少の夢や希望を感じることが出来た。
 一方、結果については言わずもがなである。本当にお粗末。
 テレビの開票速報は見ていない。延々と続くマラソンや将棋みたいなもので、見ているとキリがないからである。
 今朝になってから、新聞でおよその結果を知った。「およその」と書いたのは、全ての選挙区で開票が完了しているわけではない状態の結果だからだ。それでも、誰が当選するかについては確定している。甘利が小選挙区で落選したのだけは胸がすくような気分になれたが、それは神奈川13区の選挙民が偉いだけのことである。安倍、麻生、菅は大差で当選。二階だって、あの節操なき細野だって大差で当選だ。選挙民の審判というのなら、甘利だけではなく、これらの人たちも落選しないと本物ではない。
 自民と公明とで288議席。維新が3倍増といった結果も合わせてみた時、私にはため息しか出て来ない。これで、赤木ノートに基づく森友疑惑の解明もなし。日本学術会議議員の任命問題もそのまま。国会での議論は有名無実が継続。官房機密費も垂れ流し。温暖化対策はビジネスチャンスで、「やっているふり」だけが横行するに違いない。危機管理を口実とした私権の制限(の可能性)や金持ち優遇のシステムも、じりじりと増え続けて行くだろう。更に、維新の躍進も合わせて考えると、憲法改正、特に第9条の書き換えが現実味を帯びてきた。
 日本人はどこまでバカなのだろうか?一般国民を食い物にする自民党に票を入れる人がなぜこれほどいるのか、私にはどうしても理解できないのである。結局、選挙があるたびに、「みんなで決めたことだから仕方がない」という言葉を、苦い思いで噛みしめる私であった。