絶対に必要=政権交代

 いよいよ衆議院議員選挙が始まる。近年、選挙は非常に憂鬱だ。どうしても投票したい人がいない。相次いだ自民党の大勝も信じがたい。そして、「民主主義とは、みんなで決めたことだから仕方がないという諦めを得るための制度なのだ」と、自分の心の中で無理矢理納得する。そんなことを繰り返している。
 今のところ、今回の選挙もそうなりそうだ。自民党の総裁選挙を見ているだけでも、世の中は十分絶望するに足るものなのだけれど、野党にだってほとんど期待は持てない。
 財務事務次官Y氏が某誌に、政府批判、もしくは政治批判と思われるような投稿をしたことが話題になっている。私は、Y氏の言っていることが変だとは全然思わない。至って当たり前のことを言っている。1200兆円にも膨れあがった借金を目の前にして、更にお金を使うことばかり語る方がよほど異常だ。
 赤字国債の発行が急増するのは、わずか30年ほど前の話である。バブル崩壊直後のことだ。記憶がいささか曖昧なのだが、当時は赤字国債の発行をごく一時的なものだと考えていたのではなかったか。赤字国債を発行してでも経済を活性化させれば、税収が増え、やがて国債の償還も可能となる、そんな見通しだったはずだ。ところが、後から後から国債を発行して、経済をてこ入れしたにもかかわらず、社会保障費の急増などもあって、国債の発行残高は天文学的数字となってしまった。「これをすれば景気が回復する」とか「緊急事態だ」とか言うのを止めて、この借金をどのように返済するのか、もしくは上手く踏み倒すのか、まじめに考えることは絶対に必要だ。
 本当に残念なことに、そんなことを語る政治家は見当たらない。
 野党でも与党でも、ほとんど同じ穴の狢だとすれば、選挙そのものに意味がいないのかというと、それは少し違う。私は、まず第一に必要なのは、政権交代だと思っている。なぜ同じ穴の狢が交替してメリットがあるかと言えば、政権に「既得権」のようなものを持たせないようにするという効果があるからだ。
 安倍・菅政権は、とにかくごまかしが多すぎた。公文書の改ざん、隠蔽。それらは全て政治家自身やそのお友達の利益のためだ。利益と言えば、官房機密費である。菅前首相は、官房長官時代に1日あたりで300万円もの官房機密費(領収書の要らないお金)を使った。そして首相になってからも、年に13億3千万円、1日あたり350万円ものお金を使った。何に使ったかなんて分からない。国会軽視もよく言われる話であるが、それも全くその通り。与党内で意見の調整さえしてしまえば、国会なんて手続きに過ぎない。議論(国会審議)は無駄である。また、自分たちの権益のためなら、自分たちの意に反するものは容赦なく排除する。官僚の人事然り、日本学術会議議員の任命問題然り。そして、これらの独善・悪行を支えているのは、自分たちは選挙で選ばれているのだから文句があるか、という偏狭な論理である。(→参考記事
 政策立案能力、実行力なんてどうてもいいとは言わないけれど、上のような間違ったことが行われていれば、若者への教育的効果も含めて、社会全体への悪影響は計り知れない。そういう人たちは、選挙で勝てないのだということを知らしめる必要は絶対にある。与党と野党が同じ穴の狢だったとしても、政権担当者が絶えず交替するようにしておけば、それらのような不正は増殖しないだろう。
 野党共闘の道が模索され、一部では候補者の一本化が実現した。与党はそれを選挙のための「野合」だと言う。野党各党の考え方には温度差があるから、その批判は決して間違ってはいないが、それを強いているのは小選挙区制度である。小選挙区制度がある限り、そして、野党が小異に目をつぶって共闘しない限り、自民党一党独裁に近い状態が永遠に続く。権力の体質を健全化させるために、自民党の勝利(公明党と合わせての過半数)を阻止することは最優先課題だ。野党共闘にいかに無理があったとしても、それを「野合」だと言って責めることは、自民党の術中にはまるだけのことである。とにかく、自民党を勝たせてはいけない。