安すぎる石油と安すぎる米

 ガソリンが7週間連続で値上がりし、1リットル164円になったという話が、さも一大事という風に報道されている。例によって私は、バカではなかろうかと鼻で笑っている。燃やせば絶対に再生できない有限資源を、自分の金で買ったのだから何に使おうが文句はなかろうと、遊ぶために、楽をするために、何のためらいもなく消費する方がおかしい。しかも、今や地球環境の問題は切羽詰まっている。そんなことを考えながら石油の消費を自ら抑制できないなら、人間が生き延びてゆくためには、石油が使えない環境になるしかないではないか。そのためには、自然であれ人為であれ、値段が上がるというのが一番いいのである。私は、少なくとも1リットル500円にはなるべきだと思っている。政治がやるべきことは、産油国と交渉するなどして石油の値段を下げることではなく、1リットルが500円になっても、いや、1,000円になっても、5,000円になっても死者が出ないように、社会構造を変化させていくことだ。
 一方、米の値段が安すぎる。8月に我が家では、新米が出る前の底値だろうと言って30㎏6,980円のササニシキを買った。なにしろ我が家には育ち盛りの大食い少年がいるので、安いというのはありがたいのである。しかし、10月になって、新米が更に安い6,500円ほど(正確な値段失念)で売られているのを見た時には、悔しいとか、驚くとか言うよりも、これはまずい!と思った。どう考えても正常な値段=物の価値とは思えない。命を支える主食の値段が、30㎏と言えば我が家でも1ヶ月分にはなるのに、コンサートチケット1枚、スマホの1ヶ月分の料金以下だというのは、どう考えても変なのである。これでは、農家の方が仕事にやりがいを感じられなくなってしまったり、息子に後を継がせられないと考えるのも当然だ。
 労働力や必要性(命との関係における必要性)が正しく値段に反映される世の中であって欲しいと思う。