他人事ではないネパール



 ネパールへは、ごく短期間ながら2回行ったことがある。一度目は1983年、平野部の一番東端から入国してカトマンドゥ〜ポカラと訪ねてルンビニーに寄り、インドのゴーラクプルに抜けた。これで8日間。2度目は1997年、チベットからコダリの国境を越えて入国し、カトマンドゥからシンガポールに飛んだ。2泊3日。足しても10日余りにしかならず、何を語れるわけでもないのだが、印象は頗るよろしい。平野部は暑くほこりっぽくて疲れるし、貧しすぎて哀しくなってくるから好きではないが、山間部は穏やかに落ち着いて風景も美しく、「懐かしさ」を感じさせてくれる偉大なる田舎だ。

 そんなネパールでちょうど半年前に大きな地震があった。何かしたい!とは思ったが、日本にいて、ほとんど何が出来るわけでもなく、自分自身の気持ちをごまかすために些細な額のカンパなどして、ぼんやりと眺めていただけである。最近、その後のネパールの様子として、知人から紹介されたブログを読んでいて、地震に追い打ちを掛けるような災難が発生していることを知った(→こちらこちら)。日本でも新聞等でチラホラ報道されるようになってきたが、その情報量はゼロに近い。他人事とは思えない節があるので、少しここでも取り上げておこう。

 ネパールでは、最近、新しい憲法が制定された。ところが、この憲法が平野部に住むインド系住民にとって、旧憲法よりも不利な内容であるために、反発して国境を封鎖したのだという。なにしろ、ネパールはインドと中国という二つの大国に囲まれ、地下資源をほとんど持たない島国のような国である。チベット高原を越えて物資を輸送するのが大変なので、中国から物資はほとんど流れず、多くをインドからの輸送に頼っていた。ところが、その輸入が途絶えたのである。

 いろいろな不都合が徐々に表面化するのだろうが、とりあえず現在大変なのは石油が入ってこないということである。石油が無くなると、自動車が動けなくなり、国内の物を輸送することさえ出来ない。首都では近郊から運んでいた野菜がなくなり、ガソリンスタンドには3キロにも及ぶ車列が出来ている。何日経っても1メートルも動かない車列だ。

 私の愛読書(?)である『データブック・オブ・ザ・ワールド』(二宮書店、2014年版)で、ネパールのページを見てみると、ネパール人のエネルギー消費量は、石油換算で国民1人あたり年に47リットルに過ぎない。ちなみに日本は、同じく1人あたり年に3003リットル(ネパールの約64倍)である。しかも、ネパールは電力の99.9%を水力で賄っており、火力は0.1%に過ぎないので、石油が無くても電力不足は起こらない。ネパールは工業も低調で、エネルギーを大量に使う重化学工業はほとんど存在しない。それでいて、石油が無くなるとなかなか大変なのである。

 日本だって、置かれている状況はさほど変わらない。石油にしても、一つだけの国から輸入しているわけではないというのが、安全保障上は重要なのかな、と思うが、ほぼ100%を外国に頼っているという点では同じで、電力や産業構造のことを考えると、ネパールよりもはるかに危険だ。そんな危うさをほとんど誰も気にすることなく、湯水のように石油を消費してはばからない。私はやはり、異常だな、と思う。自給自足が原点。様々な事情を考慮しながら、そこからどれだけはみ出すことが許されるのか、その判断は抑制的でなければならないだろう。

 地図を見ると、ネパールはインドの上にちょこんと載っかっている。首都カトマンドゥの経度は東経約85度。インドの首都デリーは東経約77度だが、コルカタは88度なので、カトマンドゥは経度でデリーとコルカタの間になる。インドの時差はグリニッジ時間(GMT)から5時間30分プラスで、経度25度以上に及ぶインド全体が同じ時間帯だ。となると、ネパールも同じでよいはずだが、ネパールはなんとGMTプラス5時間45分である。この15分の時差に、私はいじらしさと悲劇とを感じてしまう。インドの意向に翻弄され、運命をインドに握られているゆえに、自分たちの独自性を何によって示すか、その悩みの末に生まれた15分と思われる。15分の時差を設定することで、インドとも中国とも違う自分たちを主張していたのだが、今回の出来事は、そんなことには意味がなく、やはり運命はインドに握られているのだという冷酷な現実を見せつける。

 ネパールは今後どうなっていくのだろう?同時に、日本にとっても決して他人事ではないということを、よく噛みしめなければ。