夜になり、朝が来る



 先週の土曜日、仙台14:15発の飛行機で成田に向かった。やや雲はあるが、天気はまずまずだ。私は、だいたい2時間を基準として、それ以下なら窓際、それ以上なら通路側の席を取ることにしている。もちろん、トイレに行く必要性が生じる可能性によって変えているということだ。国内線なら、機内サービスがないに等しい(=ビールが飲めない)ので3時間でも窓際、という判断をすることもある。仙台〜成田(1時間弱)は窓際で、成田〜シンガポール(7時間)は通路側だ。

 福島から茨城にかけて海の上を飛んだ。途中、五浦(いづら)がよく見えた。ここについては、岡倉天心との関係で一人訪ねた話を、かつて書いたことがある(→こちら)。のんびり、そしてくまなく歩いて(←この「歩いて」が大事)回ったので、地形や風景についての記憶が詳細で鮮明だ。天心の六角堂までは見えなかったけれど、五浦観光ホテルや五浦美術館は分かったし、大津港駅から五浦海岸、大津港といったあたりがよく見えた。空から見ていても、いい所だな、と思う。先日、洪水で大きな被害の出た鬼怒川沿いの地域も見えるかと思っていたが、こちらは経路より雲量の関係でよく見えなかった。

 成田からはピカピカのボーイング787に乗った。787は初めてだ。天井が高く広々している。大きくなったという窓はさほどにも思えなかったが、鳥の羽を思わせるすらりと伸びた翼を見ていると、何とも軽々と飛べそうで気持ちがいい。

 座席の前に着いているテレビをつけて、「地図」を開き「オートプレイ」にセットすると、飛行機の現在位置やルート、高度、外気温などのデータが、絶えず更新されながら映し出される。767で離着陸時に見ることが出来ていた外部カメラによる映像はない。

 画面が切り替わりながら映し出される地図の一つに、メルカトル図法の世界地図があった。宇宙から撮った写真を加工した地図なのだろう。砂漠は茶色、森林は緑といった具合に、彩色が施されている。その上、夜の部分はいかにも夜といった闇に沈み、やはり宇宙船から見た地球のように街の明かりが、実際の大都市の分布に従って描かれている。昼と夜とを分ける線は、定規で引いたような事務的な直線ではなく、緯度に応じた昼夜の長さの違いを反映した斜めの線になっている。正確かどうかは確かめられないが、なかなか凝ったリアルな地図である。

 当たり前と言えば実に当たり前なのだが、昼夜を分ける線は、時間とともに移動していく。これが不思議とひどく感動的だった。

 成田を出発したのは17:00である。秋分を過ぎたこの日、夜の闇は、東京のすぐ東まで迫っていた。更に東へとたどると、夜は南米大陸の更に東、アフリカ大陸のすぐ西まで続いている。飛行機は、離陸するとかなり西寄りに針路を取ったのだが、それでも、すぐに闇に呑み込まれてしまった。これは、地球の自転がジェット機よりもはるかに速いことを意味する。例えば、東京発青島行きの飛行機は、ほぼ真西に飛ぶ。経度差は19度なので、時差(政治的に決められた時差ではなく、360度で24時間という純粋に科学的な時差)は1時間16分だ。飛行機による所要時間は、偏西風に後ろから押される青島→成田便でさえ2時間55分(逆=青島行きは3時間25分)かかるから、飛行機の所要時間が飛行時間(離陸から着陸まで)ではなく、ゲートと滑走路の間の移動時間を含むことや、飛行経路が直線とは限らないことを考慮しても、緯度36度の地点(直径が赤道のcos36=約0.8倍)で、飛行機は地球の自転の半分以下の速さでしかない。夜の闇に容易に追いつかれるわけだ。

 せっかくなので、大雑把に計算してみると、地球の直径は約12000キロ(以下「約」は省略)なので、東京付近の直径は9600キロ。同じ緯度で地球を一周すると30000キロ。それを24時間で割ると、1時間あたりでは1250キロである。つまり、東京の人は、自転する地球とともに、時速1250キロで常に動いている。ちなみに赤道ならこれが1670キロになる。更に、地球と太陽の距離は150000000(1億5千万)キロである。2倍して3.14を掛けると、9億2400万キロ。これを365日で一周(公転)しているわけだから、1日あたりに直すと250万キロ。1時間あたりでは10万キロ強。私たちは生涯にわたって、時速10万キロ以上の速さで宇宙空間を飛びながら、時速1250キロでぐるぐる回っていることになる。これに、計算は出来ないけれど、宇宙膨張に伴う移動を加えると、気が遠くなりそうだ。それでいて何も感じないのは、速度が一定である上、身の回りの全てが一緒に移動しているからに他ならない。これは、少なくとも私にとっては非常に感動的な事実だ。

 話を元に戻す。

 この単純な画面を6時間あまり、私は現地の風景を想像しながら、相当なトキメキを持って見つめ続けていた。やがて、リオデジャネイロで夜が明け、サンパウロで明け、リマで明け・・・、シンガポールに到着する頃には、遂にシアトルやヴァンクーヴァーでも夜明けを迎えていた。一方、出発した時にすぐ東に迫っていた闇は、バンコクシンガポールを呑み込み、デリーを呑み込み、テヘランを呑み込んでトルコに達していた。シンガポールに着いたのは、定刻の23:15(時差1時間)。この時、夕方に離陸して西に向かった飛行機が、深夜に到着したというあまりにも当たり前で他愛もない事実に対し、私は今書いてきたような意味を感じて感慨に浸っていた。画像の持つ力は偉大だ。